陸上の100メートル走では昔は、175cmくらいの身長が良いと言われていた。ちょうどモーリス・グリーンがチャンピオンだった時期で、2000年前後のことだ。アメリカ記録を保つタイソンゲイも180cmしかない。あまり大きくても俊敏性が落ちるので100mには向かないというのが2000年の、アメリカの理論だった。当時はアメリカが最強だったから2000年の最先端と言い直してもよい。
一方で最近は、ボルト、パウエル、ガトリンなど185cmを超すような大柄な選手が目立つようになってきた。ボルトなんかは典型的な大柄選手らしく、スタートで出遅れても後で取り返すパターンだけど、パウエルやガトリンなんかはスタートから速い。そういう選手が主流になってきて、175cm族のおれとしては、つまらないなぁという印象だった。彼らのことを巨人族と呼ぼう。
そんな中、ボルト引退後の世界を担う選手が育ってきた。カナダのアンドレ・ドグラス、アメリカのノア・ライルズ、クリスチャン・コールマンなど。これらがドーハ世界陸上の注目選手となっている。これらの選手は全員、巨人族ではない。
アメリカにトレイボン・ブロメルという選手がいた。日本短距離選手が9秒台を出し始めたから注目し始めたという人とっては馴染みがないと思うが、リオの400mリレーで日本が銀メダルをとった時に、アメリカのアンカーを走っていた選手だ。実際にはバトンミスをしていたため失格になっていたのだが、2位のケンブリッジ飛鳥を追いかけていって、ゴール後に転倒した選手だ。ちなみにその後ろにはカナダのアンドレ・ドグラスが恐ろしい伸びで迫ってきていたから、見ていた人はヒヤヒヤしていたに違いない。
このトレイボン・ブロメルという選手は、ポストボルトの筆頭株と言っても過言ではない選手だった。最近では、サニブラウンが20歳で9秒台に到達し、21歳で到達したボルトより上だからすごいすごいと言ってるが、トレイボン・ブロメルは桁違いで、19歳の時に9.84で走っている。これは19歳の世界記録だ。身長も175cmしかなく、THEアメリカ型のスプリンターだった。身体も太すぎもせず、細すぎもせず、見た目的にもかっこよかった。このまま伸びていって、アメリカの短距離を引っ張っていく存在になると、少なくともおれは思っていた。ボルトが引退し、ガトリンも弱化した時代にアメリカ短距離の象徴となるのはブロメルではないかと思っていた。
しかし、あの時、ブロメルはアキレス腱を完全にやってしまった。
彼はリオの前にアキレス腱の怪我をしていて、万全ではなかった。アメリカ予選の前に怪我をし、回復させて挑んだアメリカ予選ではPRの9.84で走っているが、その後に怪我をぶり返し、引きずったままリオ五輪に出場し、ベストから遠く及ばない記録でフィニッシュした。(それでも決勝には出た)
リレーの時にはもうボロボロで、実力どおりならばアンドレ・ドグラスにあんなに迫られるものでもないし、ケンブリッジ飛鳥は交わしていても良かったので、走ってる途中に多少おかしくなっていたのか、それが転倒した時にさらにおかしくなってしまったのかは知らないが、レース終了後に彼は自分で立ち上がることは出来ず、車椅子で運ばれていった。しかもさらに最悪なことに、実はリレーでは失格しており、銅メダルすら手に出来なかった。
それから彼は回復を目指して努力しているが、記録は低調で、翌年の2017年は10.22、2019年には10.54と、彼のPR9.84から考えると絶望的なタイムでしか走っていない。たぶん、怪我がまだ回復していないのだろう。
本当に短距離選手は儚い。山縣ももう終わってしまったのだろうか。