おれは麻布中学に落ちた敗北者に興味があるので、 過去にはこんな怪文書も書いた。
東大文1首席が落ちた謎の中学「麻布」今回は東畑開人という 麻布落ち栄光、京大人間について書きたい。
東畑開人はゴリゴリの教育家庭に生まれ、 親に決められた第一志望は名門麻布中学だったようだ。 母親は麻布中学の過去問研究を極めており、 入試直前に「漁業が出る」という天啓を得たという。 しかし東畑開人少年は漁業に関する復習を忘れたため、 麻布中学に不合格となってしまう。 どうにか栄光中学に合格し、現役で京都大学に進学。 教授との会話の中でこの話をすると、 もし母親に言われたとおりに漁業の復習をして麻布中学に合格していたら、 人生は母親のものになっていたと言われてはっとするというエピソードが 以下の記事に書いてある。
〈中学受験の神様〉「焼津港の水揚げ高、出るぞ出るぞ」 “麻布の門をくぐれなかった”臨床心理士が見つけた“自分だけの心”
この人だが、 麻布落ちを度々ネタにしているのはこのエピソードが 「自分だけの受験をしよう」という主張の強い裏付けになるからだと思うが、 栄光中学合格というのが臭う。
京都大学2005年卒業ということは2001年に高校を卒業しているから おれの2年先輩、つまり 1995年に中学受験したということになる。 昔過ぎて情報が微妙になかったが、以下のサイトによると四谷大塚の結果偏差値で 1996年の栄光は偏差値69となっている。この時は開成の偏差値も同じく69である。 1995年に1年遡ったとしても同じようなもんであろう。 むしろ、栄光の方が高かった可能性すらある。 だから、第一志望の麻布に落ちてしまったけど栄光中学に拾ってもらえて感謝してますみたいな ニュアンスの話し方は少し卑怯に思う。 偏差値でいえば麻布の方が低かったはずだ。実際、96年での麻布の結果偏差値は65しかない。
逆にいえば、当時の麻布は偏差値以上に難しかったと考えることも出来る。 実際におれも、栄光は余裕で合格出来ると思っていたが、 麻布はたぶん合格出来るとは思うが、本番大ゴケしたら自信がないというくらいの形勢だった。 ルシファーは麻布が滑り止めだったと言っていたが、本当に恐ろしい人間であることがよくわかる。 麻布は、たぶん今でもそうだと思うが、持ち偏差値が高いから確実に受かるとはいえないような傾向がある。 これを以て、偏差値が低い成田悠輔みたいな人でも受かるから簡単と見るか、 偏差値が高いだけのガリ勉でも落ちるから難しいと見るかはデータの解釈の問題ということになるが、 実際に受験した人は後者と感じる人が多いのではないだろうか。
とはいえ、東畑開人が麻布に落ちたのは、単に実力不足だろう。 なぜならば、本当に実力があるならば社会が一教科コケたくらいでは落ちないからだ。 実際におれも、本番の社会では貝塚を題材としたちんぷんかんぷんな問題(何を問われているのかわからないと感じた記憶がある)が出て、 あまりの難しさにほとんど空白のまま出してしまい、 おそらく点数は10/40くらいかと思ったが、それでも合格した。 社会10点と見積もっても合計で110-120くらいはあったはずで、 合格最低点は98点くらいだったと思う。 社会がコケても、あと一教科くらいは軽めにコケられたということだ。 例えば、算数で発狂してまるまる大問1つ落としてもなんとか合格してたと思う。 このくらいでないと、安全に合格は出来ないということだ。 だから、社会がコケたから落ちるというのは、そもそも合格安全圏に達していないということになる。 一か八かだったのだろう。 実際、第一志望にも滑り止めにも落ちたと言ってるので、 おそらくだが、1日の麻布に落ち、3日の浅野にも落ちたのではないだろうか。 だから、栄光に合格したのはどちらかというと奇跡で、 拾ってもらったというよりは、まぐれで合格したとはっきり言う方が誠実だ。 そう言わないと、麻布栄光落ち浅野の人たちがあまりにも不憫だ。
ただ、よく見ると東畑開人の生まれ年は1983年ということになっており、 おれが1984年なので、早生まれということになる。 もし3月生まれだとすると、1982年4月生まれの人と1ヶ月しか違わないのに 同じ土俵で戦っていることになり、 これはつまり、5年生で中学受験をしているのとほぼ変わらないから めちゃくちゃ不利ということになる。 そう考えると、よく頑張った方だとはいえるが、結果は結果だ。 麻布落ちの敗北者であることには違いない。
この人が今でも麻布落ちをネタにするのは先にも言ったように、 自分だけの受験を裏付けるためのエピソードとして有力だからという側面もあるが、 実際にそれだけ強烈な体験でトラウマになってるからというのもあると思う。 京大の教授にこのエピソードを話したという話は、創作である可能性もあるが、 なんとなく真実味がある。京大の教授がこう言ってる光景はなんとなく想像出来るからだ。
「ローストビーフは元から冷たい食べ物やった気がするな」大学院での飲み会の席、私が話し終えると教授はそう言った。確かにそうだ。ローストビーフは本質的に冷たい。教授は続けた。「漁業をやらなかったのが素晴らしい、と僕は思うな。そこで勉強してたら、お前の人生は母ちゃんのものになってたんと違うかな」
おれは中学受験で落ちた経験がないので、何の感情移入も出来ないのだが。 それどころか、おれは合格発表すら見に行ってない。 同じく麻布に合格した友達の家で、シャイニングスコーピオンをしてたのだ。 そしたら電話がかかってきて、両方受かってるということだった。 今思えば、落ちて泣いてる人の顔を見ておけば、 頭の悪い人の気持ちが今よりは理解出来る人間になっていたとも思う。
ピロティをくぐると、中庭に出る。人がごった返している。白く冷たいライトが、もっと白い掲示板を照らしている。黒い数字が並んでいる。硬く凍った昆虫のように見える。合格者番号だ。泣き崩れる少年がいて、歓声をあげる少年がいる。俺はどっちなんだ。
しかし、おれを合格発表に連れていかなかったというのは、 3日間戦い抜いて疲弊していたからというのもあるだろうが、 それ以上に、連れていってたら戦争になる可能性があったからだとも思う。 当時のおれは今以上に人格が歪んでおり、 栄光中学の試験場でも後ろの子に向かって「君、頭悪そうだね」と 言った記憶がある。理由はわからないが、特に人を傷つける意図はなく、 正直に自分の気持ちを言っただけだろう。 でももし、麻布中学の合格会場で 「君落ちたの?頭悪いんだね」と言ってたら訴訟問題になってた可能性すらある。 あるいはその場で殴り合いか。 御三家の受験戦争というのはそのくらいのテンションがあるから、 核爆弾を持ち込むわけにはいかない。
あれからもう26年か。 未だに頭の悪い人の気持ちはわからないし、 彼らが何が楽しくて生きてるのかわからないし、 なぜさっさと自殺しないのかもわからないのだが、 こういうことでいちいち知的障害者とぶつかるのも面倒になってきた。