沖縄について興味がわいてきた。
この前ふと、宮城夏鈴という美人を発見してしまったため、 なぜ沖縄は美人を輩出するのかに興味を持ってしまったのだ。
沖縄出身の美人はその他にも、知花くららや新垣結衣、麻宮まどかがいる。
あんな小さな、人口100万人やそこらしかいないところでなぜだろう。 東京のように、経済が発達したところには、お金を持った人間が集まる。 そこには当然の帰結として、美人も集まる。 だから、過去の城下町とか、今の経済都市から美人が生まれるというのは 当然なのだが、沖縄にはその要素もない。 沖縄の平均収入は全国ワースト一位とのことである。
そこで今回は琉球の歴史について、 以下の漫画本を読んで学んだことを、 おれの興味フィルタを通して紹介しようと思う。 おれの記事を読んで、もう少し詳しく知りたくなったら買ってみると良い。
歴史
むかしむかし
本土の縄文時代とか弥生時代とか、そういう大昔には、主に海の幸を食って生きていた。 その他、イノシシを狩ったり、どんぐりを食ったり、たぶん本土の人間とあまり変わりない生活をしていた。
弥生あたりになると、九州の人間に発見されて、 南国産のアクセサリなどと物々交換をしていたようである。
古琉球時代 1000-1609
沖縄が一番熱かった時期がここである。 琉球王国が成立してから、ヤマトの人間に侵略されるまで。
この頃、基本的にヤマト(京都)から距離が離れるごとに異界の地とされており、 沖縄には鳥人間が住んでると思われていた。
しかし、やがて誤解は解け、 本島と鹿児島の真ん中あたりにある奄美大島を拠点に、 ヤマトの人間と交流をしていたようである。
そして、ヤマトの人間に教わって農業が始まる。 本土では弥生時代には農業が始まっていたから、実に1000年近く遅れたことになる。
農業が始まると、そこには集落が形成され、 勢力争いが始まってしまう。 拠点を城(グスクと読む)といい、リーダーを按司(あじ)と呼んだ。
やがて、その土地土地で強者が現れ、周りを占領するということを繰り返した結果、 大きく3つの勢力に分割され、 本島を北山、中山、南山と分けたしょぼめの三国時代が始まる。
この頃から、中国との交流が始まり、 中国を尊敬しているふりをするだけでお金が稼げる朝貢バブルが始まる。
琉球三国時代は、一人の天才「尚巴志」の登場によって一瞬にして終了を迎える。 こうして統一王朝「琉球王国」が登場する。 この尚巴志は沖縄にはドラマになるほど有名なようである。
琉球王国は天才の下で、経済的にも大いに発展していくことになる。 琉球王国は本土とよりはむしろ、中国や東南諸国との貿易を盛んに行っていたようである。
しかし、尚巴志が死ぬと、次の覇権をめぐってお決まりの醜い争いが始まったが、クーデターを目論んだクズをなんとか鎮圧。 尚巴志の血を継ぐ人間が王として君臨したがこいつがかなりのクズで、 民衆の反感をくらい王族は皆殺し。これにて第一次尚氏王統終了。(1406-1469)
民衆に支持されたその側近が「尚円」として即位し、第二次尚氏王統が始まる。 (これが1800年後半に明治政府による廃藩置県の一環として、正式に沖縄になるまで続く)
本島の周辺は未だに統一されていなかったが、統一。 石垣島にはオヤケアカハチという、アイヌのシャクシャインみたいなやつがいて 少し手間取ったが、武力で制圧。 石垣島のオヤケアカハチは、今でも英雄として語り継がれている。
豊臣秀吉の時代になると、 琉球王国は目をつけられて、「金をよこさないなら滅ぼします」とフリーザさながらに脅されることになる。 ガチで怖いので一旦服従。
その後、徳川家康の時代になり、うっかり多少の抵抗するそぶりを見せたところ 島津氏が侵略してきて、戦国時代を生き抜いた戦争ガチ勢の前に瞬殺され、 琉球王国は幕藩体制の中に組み込まれてしまう。(「琉球侵攻」という)
古琉球、つまり琉球王国が独立して好き勝手やっていた最高の時代は終わり、 本土による支配が今後続いていくことになる。
本土による支配
ここからの琉球の歴史は、本土による支配と屈辱の歴史である。
もともと琉球にとって本土による支配はメリットがなく、望んだものではなかった。 本土から課せられた重い年貢や、政治干渉に苦しみ続けることになる。
琉球としては、日本からの独立を望んでいたが、それも叶わず、 明治になると廃藩置県により、琉球王国は強制終了。正式に沖縄県となる。 この出来事は処分という強い言葉をもって特に「琉球処分」と呼ばれている。
ここから続く支配は「内地人は殿様にて、土人は下僕たり」 と言われるほどのものであった。
本土主導の下、急激な近代化が進んだ。 教育では、琉球文化は無価値であるという前提のもと、 本土への同化政策がとられた。 しかし当時の沖縄では、土人と呼ばれるほどの差別からの脱却が最優先であり、 彼らは「立派な日本人になるために」この教育を積極的に受け入れた。
しかし結局、沖縄は差別からも貧困からも脱却出来なかった。
第二次世界大戦の沖縄戦による戦争被害では、 ようやく整いはじめていたインフラもすべて壊滅した。
戦後のサンフランシスコ講和条約では、日本の独立の条件として、 沖縄はアメリカの支配下に置かれることになる。 日本政府により侵略され、長く続いた琉球文化も放棄し、 同化政策も受け入れたのに、結局、アメリカに売られることになった。 条約が発効された4月28日を沖縄では「屈辱の日」と呼ぶそうである。
それから27年後の1972年に、沖縄が返還されるまで、 沖縄人は人権を失い、ただアメリカにいいようにされたのである。 (「銃剣とブルドーザー」と呼ばれる。銃剣で脅して土地を奪い、ブルドーザーで軍用地化していった)
沖縄が日本に復帰してから、まだ50年も経っていない。
感想
もともと、沖縄が地理的に本土から離れていて、 わりと独自の文化を持っていることは知っていた。 しかし、もともと琉球王国として独立していたものが 本土によって侵略されたという歴史は知らなかったし、 戦後に売られたという歴史も完全に忘れていた。 沖縄返還が1972年という年号は頭の中に入っていたが、 その返還と対になるものに対して興味すらなかった。
そういえばそうだったかもしれないくらいの認識で、 沖縄なんか東京の人間からすると「米軍問題でごちゃごちゃしている ボクシングときれいな海と空とゴーヤとミミガーが有名な観光地」くらいの 認識しかない。あんまり興味がないというのもあるが、 それほど距離が離れているということでもある。 今でもある意味異界の地なんだろう。さすがに鳥人間がいるとは思わないけど。
今回、知識を入れ直すことが出来てよかったと思う。 歴史認識は大切だ。おれのアンチには沖縄人が多いのだが、 彼らが本土の人間であるおれに対して反感を持つというのは、 歴史を知れば理解できる。
さて肝心の、なぜ沖縄には美人が多いのか? についてだが、これは全くわからなかった。 まぁいいや、おれも沖縄でオリオンビール飲みながらバーベキューしてー。