リモートワークと学歴

日本政府が、修士以上の外国人は永住権の取得を優遇するということを考えているらしいが、 このラインはおれにとって、しっくり来るものだ。

リモートワークは簡単ではない

2019年にコロナが始まってから、どの会社もリモートワークを導入し、 リモートワークを許さない会社は採用に困難するという状況にもなっているが、 おれはこれは行き過ぎだと思っている。

というのも、おれは過去3社すべてで完全リモートワークをしてきた リモートワークのプロなのだが、 その経験からして「修士未満はリモートワークが向かないことが多い」 と感じているからだ。 これを学歴差別と感じるのはあなたが教育を軽視しているからだ。

リモートワークの長所は、 働く場所が自由になることだ。 しかしこれは短所にもなり得る。

リモートワークの難しさの根本は、 コミュニケーションが難しくなることにある。 この点に関して、リモートワーク導入からしばらく経ち、 多くの会社が問題意識を持っているようである。

コミュニケーション力というと、その意味を誤解する人が多いが、 コミュニケーション力というのは他人となんとなく和を保つ日式能力のことではなく、 議論する能力のことである。

リモートワークでは、 コミュニケーションツールは基本的にチャットになる。 ソフトウェアエンジニアの場合は、 Githubで議論することもあるし、 あるいは設計ドキュメントを書くこともある。 リモートワークでは、 こうしたツールの上で議論することが求められる。

低学歴はリモートワークに向かない

さて、チームのアウトプットというのがどうやって決まるかということを考えると、 それは

  1. 個々がどれだけ自分の担当分野について掘り下げるか
  2. そしてそれをチーム内にどのくらい波及させるか

の2点で決まるだろうと言える。

それぞれが割り当てられた仕事をただ為せばよいという話ではない。 各々が自身の仕事を深く探究し、 自身の考えをチームに対して提起し、 それによって新しい議論を生み出す。これが求められている。 逆に、これが出来ないとチームとして存在する意味はない。 少なくともソフトウェア開発においてはそうである。 2のないチームはアウトソーシングと変わらない。

おれの経験を元にして話すと、 この1と2両方について、 修士未満の人間はどちらも出来ない傾向にある。

1については明らかであろう。 仮にその対象が、狭義での研究でなくとも、 1では必ず研究的なやり方が求められる。 小学校の自由研究以外には何の研究もしたことがない人間は 浅い仕事しか出来ない。

では2についてはどうだろうか。 日本人なら誰だって日本語は読み書き出来るだろう。 しかし、文章を書いて議論をするというレベルになると、 これをするためには教育がいる。 昨今では、日本語は読めるけど日本語が読めない人が増えていると言われているが、 それは、教育を受けていないからだ。

1については、高卒でもあってもあるいは中卒であっても偶発的な才能がある人間はいるし、 世界の有名なプログラマの中には大学をドロップアウトした人間というのも少なくない。 しかし、2については、なんらかの形での訓練を経なければ身につくことはない。

その教育として一番確実なのは、修士課程で学ぶことであり、 そうでない場合は、会社に入ってから学ぶチャンスを得るしかない。 後者はどういう場合かというと、学部卒だけど偶発的に職位が上がって、 偉い人や外部の人とやりとりをする機会を得て、必要性から本や研修で学んだという場合だが、 以前は修士まで行く方が稀という時代もあったのでこういう人もわりといたものの、 少なくとも今の40歳代以下くらいの世代ではこれはほとんどあり得なくなっている。 学歴が低い人間はチャンスすら与えられなくなっているからだ。

だから、教育レベルが低い人間はほとんどの場合、 1も2も低いということになる。

リモートワークによって喪ったもの

リモートワークがなかった世界においては、 低学歴のもつこれらの問題はいくらか軽減出来ていた。

コミュニケーションのコストが低くなれば、 仕事の相談をすることも容易になるから、 1は多少はカバー出来る。 例えば、設計で躓いている時に、近くにいる上級エンジニアに「ちょっとお時間いいですか」と聞いて 相談をすれば、すぐに良いアイデアが出ていたかも知れない。 しかし今では、わざわざちょっとした話をするにもウェブ会議を予約しなければいけないから、 それが億劫になって、あるいは他人の時間を奪うといけないという謎の気遣いによって、 こういったちょっとした雑談が少なくなっている。 結果、下級エンジニアは自身の躓きをそのまま抱え続けるか、 珍妙な解決案を独自にひねり出した挙げ句、挽回不能なゴミを作り上げることになる。 この「雑談が減少したことによる損失」というのは、多くのリモートワーク導入企業が 感じているリモートワークの欠点の一つである。

オンサイトで会話をするということは、 ただその場の仕事の質を上げるという効果だけでなく、 教育的な効果もある。 ここでおれが心配していることは、 今の新人というのはほとんどが入社からずっとリモートワークで 働いているリモートワークネイティブなわけであるが、 果たして彼らはちゃんと実力を伸ばせているのだろうか? ということだ。 この点についても企業は評価する必要がある。 今は大学もリモートが多いというから、 大学も同様の問題を抱えている可能性がある。

2についても同様に、オンサイトであれば コミュニケーションが円滑に出来た場合もあるだろうが、 この点についてはオンサイトが一方的に良いとも限らない。 リモートワークでは文章によって議論をするが、これによって 文章が残るという利点があるからだ。 オンサイトでの会話ベースの議論は 文章が残らない場合がある。 そしてそれは属人化に直結する。 永年就職が一般的でなくなった現代においては、 知識の属人化は企業が最優先で解決しなければいけない問題の一つだ。

再評価される麻布の教育

おれは麻布学園の出身なのだが、 この学校の教育方針は「書かせる教育」である。 これは、書くことは思考することのベースになるから、 徹底的に書く教育を行うことによって、どんな状況下においても 自ら思考し決断する強い人間を育てるという理念の下に行われている。

麻布学園が優れたOBを輩出する背景には その優れた教育がある。

また、麻布学園の校風は自由だ。 日本で一番自由な学校だと言われることが多い。

こう考えると、 麻布学園の「書く」「自由」というキーワードが リモートワークのそれに合致していることがわかるだろう。 おれは自身がリモートワークに向いていると感じているが、 これは麻布で教育を受けたからだと思う。

ここ10年、中学受験業界における麻布の偏差値順位は下がる一方だ。 しかし、この評価は間違ってると考えている。

コロナが始まり、政府はコロナワクチンの接種を開始した。 この時、麻布の教育を受けていれば、 自分の頭で考えることによって 今では明らかになったコロナワクチンの毒性を看破し、 打たないという決断が出来た。 麻布の教育を受けていれば、コロナ禍(笑)においてなし崩し的に導入された リモートワークを活用し、 水を得た魚となり、 自分の生活をより一層自身を豊かにすることが出来た。 実際、この3年、おれは楽しくてしょうがない。 それはおれが麻布だからだ。 おれは、弱い人間は好まない。

昨今麻布の評価が落ちているのは進学実績の低迷からだが、 では少し考えてみてほしい。 もし、麻布と開成の進学実績が同等だったらどうだろうか? どちらに進学したいと思うだろうか。

それが答えだ。

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