坂井秀至八段が囲碁棋士を事実上引退し、医師に戻るというニュースが最近あり、思うことがあるので話す。
坂井秀至八段は京大医学部出身の囲碁棋士
坂井氏の経歴は、他の世界にも見ないくらい変わっていて、注目を浴びた囲碁棋士だ。ちょうど私が囲碁をはじめた頃に、医師から囲碁棋士への転向が話題になってた棋士で、京大卒ということもあり、多少の思い入れがある。
坂井氏は他の棋士と同様に小さい頃から囲碁を打ち始めた。小学生の頃には少年少女囲碁大会で優勝もしている。これは、囲碁のプロ棋士への登竜門とされる。多くの場合、この後、学業と院生を両立させて、中学生か高校生でプロの試験に合格する。
少年少女囲碁大会は夏頃に終わるのだが、彼にとってはこれが小学生最大の挑戦だったため、中学受験の勉強に本腰を入れ始めたのは夏の終わりから。それまでも「副業」で受験勉強をしてきたというのは事実にしても、わずか半年本気で勉強しただけで灘中にさくっと合格してしまう。
それからは、プロの勉強会に出たり、アマとしては突出した力があったから、中高の学生タイトルは余裕で総なめにする。
大学受験では一度挫折もあったようだが、二浪の末に京都大学医学部に合格。この間は囲碁の勉強は断っていたようである。この時期は大変辛かったと述べている。
大学時代は、大学の大会には出ていない。囲碁部にも在籍していない。学生の大会には見向きもせず(というか出てしまうと荒らし同然になってしまうので敬遠していたと考えられる)、アマの世界選手権に挑戦していたようである。のちのプロでの活躍からすると順当といえるが、アマの世界一になる。
ここで坂井氏の頭には一つの思いがよぎる。「こんなに良い碁が打てるのであれば、自分は囲碁一本に専念していたらもっと強かったのではないか。今からでも修業すればもっと強くなるのではないか。もし、ここで医師の業務に没頭し、囲碁を打たなくなってしまったら一生後悔するのではないか。あの浪人時代のように囲碁から切り離されるのは嫌だ」
「そうだ。やりきったと思うまで囲碁を打ってみよう」
これが坂井氏の答えだったようである。医師国家試験に合格したあと、プロ棋士への転向に挑戦する。
プロ棋士になるためには、通常、院生というプロの下部組織を経る。そこで年に夏と冬の2回、プロ試験が行われる。これは大変厳しいもので、レベルとしては院生下位=アマ強豪レベルと言ってよい。実際に、学生の囲碁界やアマチュアの囲碁界には元院生が活躍している。しかし彼らはプロになれなかった負け組なのである。その中でほぼ全勝し、上位1人か2人くらいに残らなければいけない。プロ試験には院生の他にも外来といって、外からのアマ強豪も参加することが出来るが、坂井氏はこの方法でプロ試験を受けたわけではない。
プロ試験を受けるには年齢制限がある。現在は22歳までであり、当時は何歳までだったか知らないが、とにかく、坂井氏は大学に入ったのが20歳としてそれから6年だから26歳くらいになってたはずで、年齢制限でアウトだった。しかし、プロ相当の実力があるというのは明らかだったので、特別に編入試験が行われることになり、プロ棋士を次々と負かして、飛び付けとしては最高の五段でプロ入りをする。
そこからは、名人リーグで戦うなどトップレベルではあったもの、タイトルにはぎりぎり手が届かなかった。しかし2010年にようやく七大タイトルの一つである碁聖位を獲得する。タイトルを獲得したことが、今回の引退の一つのきっかけになってることは想像に難くない。
そこから9年、年齢とともに能力の衰えを感じ始めてきたことと、強い若手が育ってきてしまい以前ほど勝てなくなってきたこともあり、囲碁を引退し、47歳にして医師に戻るという決断に至ったというわけである。彼としてはやりきったということなのだと思う。坂井八段ならば、今から医師に戻ったとしても、また良い医者あるいは研究者になれるのではないかと期待できる。
東大医学部卒の医師がグーグルへ???
他にも、坂井秀至八段のようなケースを紹介しておく。
これは最近ネットで話題となったことだが、東大医学部出身の医師が、医師のかたわら独学でプログラミングや機械学習を勉強し、医師の仕事に飽きたからという理由でさくっと医師を辞めて、グーグルに転職したというニュースがあった。もちろんそれは、グーグルが、プログラミングが出来る医療関係者を欲していたということでもあるけど、それにしてもプログラミングの成長力が半端ではなく、そもそも学力がずば抜けて高いやつは何をやっても出来てしまうのだなと感心したものである。
世界一位の中国棋士、無試験で清華大学へ
今世界で一番強いと言われる柯潔は、無試験での精華大学への入学が認められたようである。日本では、囲碁が強いから東大に無試験で入れたという話は聞かないが、中国では過去にも清華大学ではないにしろ、囲碁の棋士が無試験で大学に入り、大学で首席卒業だったか好成績を上げたという事例があるようで、囲碁の強さと学力の強さの相関が明確に認められており、柯潔は中国トップ大学への無試験入学を許可されたわけである。中国の大学入試というと、非常に過酷なものとして知られているが、その中でも一握りの人間しか手に入れられない清華大学への入学を無試験で手に入れられることから、中国においていかに、囲碁が強いということが評価されているかがわかる。
問題を解くという概念が理解出来ない落ちこぼれ小学生
一方で最近、こんな話を読んだ。
教育ボランティアで出会った小4の子の話|よんてんごP|note
概要を話すと、落ちこぼれの小学4年生がいるが、この子が一生落ちこぼれであることはもうこれから挽回しようがないという理由が述べられている。
その理由というのは、その子が、計算の仕方がわからないとかそういうレベルではなく、もっと根本的に「ものを考えるという概念自体がわからない」「答えを問われているという概念自体がわからない」というレベルで止まってしまっているからである。その、小学生かもっと早く幼稚園かあるいは幼児期に得るべき能力を小4の時点で持っていないため、もちろんそれ自体を今から教えることは不可能だし、今後も一生落ちこぼれるしかないという絶望的な話である。
上で挙げた3人と比較すると、彼らは、知識の量うんぬんの前に、問題解決能力や論理的思考能力という基礎的な能力が圧倒的に高いため、何をやっても出来てしまうのである。坂井八段は、他の小学生がノイローゼになりながら希や浜でしごかれている中ゆうゆうと囲碁を打ち、全国優勝をして、それから受験勉強で本気を出しても灘中に受かってしまう。理3グーグルの人も、基礎的な能力が高いからプログラミングを独学でやったとしても、短期間で他の人より成果が出てしまう。柯潔の話でいうと、彼は勉強はまるで出来ないと思うが、勉強なんかちょっとすりゃ一瞬で出来るようになるだろという見込みで、中国トップ大学に入学を許されてしまう。
つまり、これらの基礎的な能力があるなしが、人生においてとても重要なことなのだ。
小学校で囲碁を導入しよう
私は以前、小卒試験の導入を提案した。
小卒試験制度の導入を提案するこれは、どうせほとんどの仕事では中学以上の勉強は必要ないのだから、小学生の時点で枝刈りをしてしまって、その代わり小学生の段階までは死にものぐるいで勉強するようにした方がいいのではないかというものだ。小卒試験に合格しなければ中学に上がれないとなれば、誰でも必死で勉強するだろうという目論見がある。
今回のケースも、もし小卒試験があったら救われていたケースかも知れないが、そうでない可能性もある。
むしろ私は、今現在与えられている初等教育が、ただ知識をつけるとか、計算の仕方を教えるとかに終始しているものが多く、ものを考えるとは、問題を解くとはどういうことなのかという本質的な能力を獲得するには不向きであるという点を指摘したい。
その上で、小1から囲碁教育を導入することを提案する。
なぜ囲碁が良いかというと、そこにりんごが何個だとかたかしくんがどうとか、余計な情報がなくピュアだからである。囲碁では、その黒と白の石しか置かれていない盤面で何をするのが最善かということを考えることだけが求められる。こういった真に基礎的な能力を身につける「専門の科目」があっても良いと思う。
>囲碁は難しい?簡単な囲碁「純碁」があるよ
囲碁はルールが難しいんでしょ?と思うかも知れない。
王メイエン九段は、囲碁はルールが難しいのではなく、ルールが難しく感じるように教えられているだけだという説を唱え、それを解決する純碁というゲームの開発と普及に昨今従事しておられる。
純碁というゲームといったが、本質的にはふつうの碁と全く変わりがない。変わるのは、勝敗の決め方である。ふつうの碁では、地の計算を行う。これが、初心者にはわかりにくいのが問題であると考え、地を計算するのではなく逆に石を埋められるだけ埋めるという操作によって終局を行い、盤上にある石の数によって勝敗を決めるということを行う。石をたくさん埋めた方が、ふつうの碁では地が多いということを意味することは明らかなので、盤上の石が多い方が勝ちになる。
この方法自体では、コンピュータ囲碁における「プレイアウト」という手法でもある。コンピュータ囲碁でも地の計算は出来るのだが、地を数えるより最後まで埋めてしまってもコンピュータにとっては計算時間は変わらないし、却って実装が楽ということもあり、プレイアウトという手法によって勝敗が計算されることが多い。
この本は読んだことがあるが、入門書ということもありわかりやすかった。
これを、人間の打つ碁にもってきたのが、純碁といえる。
王氏によると、初心者に純碁を教えると、9割くらいの人は囲碁が打てるようになるということである。これは、小学校などの公教育で導入するには十分な打率である。
最近、小学校からプログラミングを学ばさせるべきだとか糞みたいな議論がされているが、それではまた落ちこぼれを増やすだけだし、そもそも、まともな論理的思考力があれば、それからプログラミングを学ぶのは難しくない。私自身も20歳になってから独学でプログラミングを勉強した。
プログラミング教育などどうでもいいから、まずは、囲碁を学ばせて、思考する・問題を解くという本質的な能力を身に着けさせることを優先してほしい。