本当に悲しい事件が起こってしまった。
警視庁新宿署地域課の男性巡査部長(51)が運転するパトカーが緊急走行中、横断歩道を歩いて渡っていた男児(4)をはねた。
子供は意識不明の重体らしい。せめて生きていてほしいとは思うが、生きていても以前と同様に元気なままとはならないケースが多い。そうなってしまったら本当に悲しいことだ。絶望しかない。
これについてわかっていることは、
- パトカーは薬物事件の尿鑑定のために千代田区の警視庁本部に向かう途中だった(つまり、別に犯人を急ぎで追ってるわけではなかった)
- 事故時は車側の信号が赤色で、歩行者側が青色だった
- パトカーは赤色灯を点灯させ、サイレンを鳴らした状態で横断歩道に進入した
これが本当だとすると、まず考えることは、急ぎでもないのになぜ赤色灯をつけて赤信号を突っ切ろうとしたかだ。ふつうに信号を守って運転するではなぜいけなかったのか。私としてはまずこの説明がほしい。もし、ただ信号待ちがだるいからという理由だったとすると、それは単なる職権乱用になってしまうからだ。
次に、この件に限らず、パトカーや救急車の緊急走行について私が常々思ってることを、いい機会だから話そうと思う。
彼らは、自分たちの意志が歩行者に対して真に伝わってると本当に考えているのだろうか?このケースでいうと、赤色灯をつけてサイレンを鳴らしたとして、それが歩行者にとってどう捉えられるか考えているだろうか?
サイレンをつけている彼らからすると、3秒後の未来は、目の前の歩行者がパトカーなり救急車を避けている未来だ。しかし歩行者にとっては、その非日常を理解するのにまず時間がかかるし、サイレンを聞いて、その音がどこから聞こえるのか判断し、その上で自分が何をすべきなのか考えなければいけない。これには私のような比較的頭の回転の良く、常にFPSをして音に対して敏感になってる成人であってもそれなりの時間がかかる。これが老人や子供であったら、もっと時間がかかることだろう。だから実際には、赤色灯をつけてサイレンをつけたとしても、それが歩行者にとって理解されるとは限らない。もしこれが常に理解される、ないしは理解されて当然だと考えているのであれば傲慢だ。
東京の雑踏の中で音の鳴る方向を瞬時に判断するのは難しいし、たくさん車がある中でパトカーをひと目で見つけるにも多少の時間がかかるし、赤色灯にしても明るい時間帯だと見えにくいことがある。
これらのことを理解しているとは到底思えない。
そう思うもう理由がもう一つある。それは、彼らは緊急走行をする時に、スピーカーを使って何か喚いてることが多いが、これは本当に聞き取りにくいし、理解出来ることはほとんどない。もちろん、イヤホンで音楽を聴いていれば聞こえることすらないが、そうでない場合でも、何を言ってるのか理解しづらいことが多い。というか出来たことがない。
理由を考えると、
- 怒鳴っていて音が割れている
- スピーカーの質が悪すぎる
- 早口で何を言ってるのかわからない
が挙げられる。柳沢慎吾が警官のレシーバーをネタにしているが、常にあのような感じに聞こえて、何を言ってるのかわからない。あのように話せとでも訓練されているのかとすら邪推してしまうレベルだ。
自分が話してると思ってることが、他人にとってどう聞こえてるかわからない。この差を埋めるのがコミュニケーション能力である。今回の事故は、我々一般にも、情報が正しく伝わることの大切さを教訓として与えてくれる。しかし何より言いたいことは、こんなことが二度と起こらないように、パトカーや救急車は緊急走行がより理解されやすくなるような改善をしてほしいということだ。