二月の勝者とは一体なんなのか?

二月の勝者という漫画が流行っていて、 おれも全部キンドルで買って読んでいるんだけど、 最近ふと思ったことは、「二月の勝者って一体なんだろうか」だ。

たぶん何を言ってるかわからないだろう。 おれは麻布中学と栄光中学に受かった。 栄光中学は当時は聖光よりも偏差値が高く、客観的な指標でいうとかなり難しかったものだ。 さて、おれは二月の勝者だろうか?

首都圏でもっとも偏差値が高いのは筑駒だ。 では、筑駒に合格した子は二月の勝者何なのだろうか? 灘はどうだろうか?ラサールはどうだろうか? 灘から逃げて甲陽を受けた子は敗者だろうか? 麻布にも栄光にも落ちて浅野に行った子は、敗者だろうか?

こう考えていくと、二月の勝者とは一体何なんだろうかという問いにたどり着く。

仮に御三家に合格することだけが二月の勝者だとしよう。 すると一体、漫画の中に出てくるその他大勢の子どもたちは何のために描かれているのだろうか。 二月の勝者になる子供たちの引き立て役だろうか?

それではあまりに残酷すぎるし、 だったらフェニックスのアルワン天才物語を描く方が適切だ。 ひたすら織田未来くんを出せばいい。

最近思ったのは、もしかしたら中学受験をする子供は全員が二月の勝者なのではないかということだ。 なのではないかというのは、実際にそうであり、作者もそういう意図で描いているのではないかという意味だ。

Fラン大学というものが存在する。 おれは何も京大未満はFランだゴミだとマウンティングをとろうというのではない。 (そういう世界観でいえば、おれは東大以外はFランだと言い切る) 文字通り、Fラン大学。ボーダーフリー大学という呼び方もある。

これらの大学の存在は今、ほとんど社会問題と言ってもよい。 これらの大学は、実質的に大学として機能しておらず、社会的にも大卒として認識されない。実質高卒。 したがって、そんな大学を出たとしても得られるのは4年間何もせずに遊んでいたという事実だけ。

最悪、お金持ちの子供ならばそれでも良いだろう。 しかし、そんな大学に奨学金という借金をして行く人間がいる。 他に行ける大学がないが、大卒にはなっておきたいという頭の悪い連中だ。 そういう人間に金を貸す方もどうかしているが、当然、返済は難しくなり、 人生はより困窮していく。場合によっては風俗で働いたり、場合によっては犯罪に走る。 そもそも奨学金を返済不要と思い込んでる場合もあるが、これはむしろ(頭の中がお花畑という意味では) 幸せな方かも知れない。

無論、そんな大学に行く意味はない。 そんな大学は、さっさと潰してしまった方がいい。

ある教育者はこれを「闇」と表現した。 そして、中学受験というのはこの闇を回避するための優れた手段なのだと主張した。

どういう人間がFラン大学に行くのだろうか。 それは、中堅以下の公立高校だ。 底辺の私立中高一貫校ではない。

私立中高一貫校には独自の教育システムがある。 したがって、中学受験の段階で偏差値40の子供が入ってきたとしても、ある程度伸ばすことが出来る。 しかも、これらの一貫校も生き残りに必死だから、進学実績を作ることに高いモチベーションがある。 だから、小6の段階で勉強が出来なかった子供でも、なんとかして日東駒専くらいには入れることが出来る。 これらの大学は社会的な評価でいえば、Fランとは言わない。

だから、私立の中高一貫校に入れることは、闇を回避する上で優れた手段であり、 優れた投資なのだ。というロジックである。 はーなるほどと思った。

このロジックでいうと、 二月の勝者というのは中学受験をしている子供全員ということになる。 つまり、あの漫画に出てくる子供たちは全員が二月の勝者ということだ。

中学受験というと、難関中学の受験だけがハイライトされがちだが、 実際問題としてはそこに手が届くのはほんの一握りの優秀な子供だけだ。 偏差値50台でもまぁまぁ優秀、多くのふつうの子供が偏差値50にも届かず、40台の中学を受験することになる。

二月の勝者の主人公は明らかに柴田まるみだ。 これは間違いない。しかし、同時に、偏差値40台の子供たちも描かれている。 ここから、二月の勝者というタイトルに込められた作者の意図が伺えるというわけである。

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