木村花という女性がネットでの誹謗中傷によって殺されたという。
という記事を書いたこともあり、おれにとって他人事とは思えなかった。
よくネットには、「誹謗中傷に耐えられない人はネットに向いてない」 という人がいるけど、考え方が逆である。 「匿名のまま他人を誹謗中傷する人間はネットに向いていない」 が正しい。
今人類がやらなければいけないことは、 ネットの実名化あるいは匿名でも良いが問題があった場合に個人と紐付けられるような仕組みなのだが、 これには少し時間がかかりそうだから、 ネットでの誹謗中傷について悩んでる人が少しマシになる科学的な考え方を紹介したい。
これはおれが今に至って、アンチのことがまるで気にならなくなった考え方だから、 芸能人レベルで攻撃されている場合は効かないかも知れないけど、 一般人レベルなら効くかも知れない。木村花の場合も、もしかしたら効いたかも知れない。
これは偏差値のグラフで、正規分布というのだが、 このグラフが歪んでいると言っても何のことかわからないだろう。 左右対称であり、数学に支配されており、美しいと思う人がほとんどなのではないか。 しかし、歪んでいるのだ。
中学受験御三家レベルのみなさんが卒業後の人間関係で気をつけるべきことこの記事でいう、御三家レベルの人間というのは このグラフでいうと上位2%以内の人間である。 そういう人間が生きる上で大切なことは、 人気になることではなく、付き合う人を限定した上で 自分の能力で勝負することだと話した。
基本的にこの社会においては、マジョリティが有利である。 あらゆる制度がマジョリティのために作られるし、 同じように考えて、同じように行動する人間、つまり仲間が多いということは、 この社会においては「まことに残念ながら」有利に働く。
だから最強なのは偏差値50である。 学術的な成果や資産など絶対的な指標は抜きにして、 ただ幸せの感じやすさという点においては、彼らは間違いなく最強だ。 なぜならば、自分と同じような人がたくさんいて、 誰に勝てるわけでもなければ負けるわけでもないからだ。 ちょうど、競馬場にいって一日遊んだ結果、 テラ銭分を負けるくらいならそこまで気にならないというのと似ている。
山の頂点にいる人たちは不幸すらも冗談に出来る幸せのギフテッドだ。 何もしないでもただそこにいるだけで幸せなのだから、こんなに素晴らしいことはない。
ではこのラインより上の人は不幸なのかというと、 マイノリティになっていく代わりに、 能力の高い人と意思疎通が出来るようになるし、 自分自身の能力でも道を切り開いていく可能性が残っているから、 同等に幸せであるとはいえる。 高知能と精神病理は近いものがあり、それ故に悩む人が多いのも事実だが、 それでも偏差値50の人間と同等に幸せであることには変わりないと思う。
しかし、偏差値50より偏差値70の方が幸せというのはどう考えても間違っている。 こう思うのが偏差値偏重教育のもたらす歪みだ。 彼らは頭がよく偏差値が高いだけで、幸せについては対等である。
ここまでで偏差値50以上の人は幸せについてみな平等という話をした。 このグラフの右半分だけを見れば、スキー板を履いて滑走してみたくなるような心地よさがある。
では、それ以下の人はどうだろうか? 彼らはマイノリティであるにも関わらず、 能力によって偏差値50の人間と対等になることを許されない。 全員が経験する義務教育では常に劣等感を味わい続ける。 大抵の場合、運動能力も低いし、家庭環境がまずいことも多い。 自分の子供の能力が劣ってるとわかった時に最大の愛情を注ぎ込むことは、 社会的な体裁を気にする芸能人などや裕福な家庭は例外として、 一般的には難しい。
その矛先はやがて、偏差値60、70の人に向くことになる。 なぜかというと、偏差値50の人を攻撃しても負けてしまうからというのと、 能力が近いがゆえにある程度は共感出来るからだ。 しかし逆サイドにいる偏差値60、70の人間に対しては容赦なく攻撃出来る。 言ってることが理解出来ないし、ただねたましいという感情に支配されるからだ。
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犯罪者のIQは低いという事実がある。 社会で起こる犯罪の多くはこういう下位レンジの人間のものであるし、 多くの誹謗中傷もまた、下位レンジの人間によるものである。 ネットの誹謗中傷を見ると、 明らかに社会経験がない人が書いていたり、 文章として成り立っていなかったり、偏差値の低さを感じることが多い。 アンチとして粘着しているのはほんのごく少数だったということがよくあるが、 それはそういうレンジの人がアンチになるんだから当たり前なんじゃないかという気はするし、 逆にどこどこ大企業の部長が実は誹謗中傷を繰り返していたという話も時々聞くが、 伝統的な日本企業の昇進制度だと偏差値40でも部長になれてしまうから、 そういうことも起こりうるのかなと思う。 むしろ、自分の能力と職種とのギャップがストレスになり、そういう異常行為を誘発してしまう と考えれば理が通る。
ここまでで、ネットの誹謗中傷というのが主に、 下位レンジの人が上位レンジの人に対して行うものだということがわかった。 あなたを攻撃しているのは下位レンジの人間だけだ。
では、アンチによる攻撃が辛いと感じる理由はなんだろうか?
まず、虚偽の事実を書いて対象の社会的地位を貶めようとするタイプの攻撃だが、 おれの考えは、虚偽の事実を根拠なしに信じる人間は書いてる人間と同等に白痴なので付き合いたくないし、 自分と同等に高知能な人間と付き合うことに人間関係を絞るという戦略をとれば、付き合う必要はない。 従って、無視すればよい。 これが、下位レンジの人間から攻撃を受けやすい上位レンジの人間が 人気商売をしてはならないという理由だ。 なぜかというと、人気商売を支える大衆というのは、あまり頭が良くないからだ。 もちろん、こちらの方面に対しては速やかに法整備がなされることは強く望まれているし次第にそうなっていくと思うが、 そのような世界になったとしても、上位レンジの人間が人気商売をするのは、ただ単に不利という理由だけで あまりオススメしない。
次に、ただ誹謗中傷されるというタイプの攻撃だが、 これも無視すればよい。 中にはアドバイスの体を為そうとしているようなものもあるので受け止めがちであるが、 上で示した正規分布に対する考察で導いたとおり、 それらのすべては情報量はあるけど情報量はないと言った類のものなので やはり無視していい。 それにそもそも論になるが、大人になってまで他人のことをきもいだとかなんとかいうやつは それだけでたかが知れており、付き合う価値がない。
なんだか下位レンジの人は社会にとってまるで害虫であり、ガス室に送り込むべきといった話になりつつあるが、 そうではない。
個人の能力が正規分布を為すのは半ば当然である。 サラブレッドのように交配をコントロールして人間を生産する世界にならない限りは、 これからも下位レンジと上位レンジにきれいに分かれ続けることになる。
小卒試験を導入すれば、世の中からねたみが消えるそこで主張し続けているのが小卒試験の導入だ。 小卒試験をし、偏差値60ライン以上を学業コースとした上で、 それ以下の人はそれ以降の進学を諦めてもらうかわりに生活の補償をし、 好きなことをやってもらう。その中から、人気商売で成功する人間も出てくるし、 限られた分野で才能を発揮する人間も出てくる。それが学業でなくても何の問題もない。
現代では、別にしなくてもいい仕事をお金を使って生み出しているような側面もあり、 文明がより高度化していく以上、ある程度の知能がなければ真に価値のある仕事をしていくことは出来ない。 なので、その能力がない人にはさっさと引っ込んでもらって、能力がある人たちが存分に力を発揮するような社会にする方が、 トータルではプラスになる。