無職のすゝめ(ではない)

おれは今36歳で、大学を出てから10年くらいだけど、2回無職になったことがある。 1回目は1ヶ月と短かったけど、2回目は1年半。

この経験から、長い人生のうち一回くらい無職になってみようぜ面白いからなんて言うつもりはなく、 むしろ逆に「無職になるのはやめろ」と言いたい。 この国では、無職であることは死に近い。

2回目の無職には目的があった。 辞めた理由は、会社が給料を払わなくなったからだが、 お金を取り立てる方法なんていくらでもあるわけだし、 別に速攻で辞める必然性はなく、仕事を見つけてから転職でも良かったと思う。

ただおれは、次は絶対にRustを書くということを決めていたから、 そのためにRustの勉強、Rustでの競技プログラミング、Rustによるアプリケーション開発など、 修業する必要があった。 だから、無職になった。

Rustジョブを得たいと思えば、今の会社の中で強引に仕事を作るとかするのが王道で、 今仕事でRust書いてるよという人はそうしたか、あるいはそういう波に巻き込まれたかのどちらかだろうけど、 おれは一度無職になって、Rustaceanとして蘇ることにした。

おれはその当時Scalaを書いていて、Scalaはそれなりに需要があり、給与も高めの言語だけど、 おれは当時Scalaに辟易していたため、もうこうなったらRust以外にはあり得ないと思っていた。 Rustを書けないなら死んだ方がマシだという感覚だった。 今こうして、Rustが盛り上がってきたのをみると、この嗅覚だけは正しかったものと思う。

おれは独身で、貯金も結構あった。散財をしなければ5年は生きられるくらいはあった。 まぁ5年もあればなんとかなるだろうとは思っていた。

当然、ただRustを勉強してますでは外から評価しようがないので、 わかりやすい保険として競技プログラミングをすることにしたが、これはそこまで成果が良くなかった。 おれはもっと簡単に上に行けると思っていた。

言い訳になってしまうが、無職のまま競技プログラミングを続けていたことが本当に問題だった。 競技プログラミングは知能ゲームなので冷静な思考が必要となるが、 無職状態では冷静な思考が出来ない。コンテストになると手ががたがた震え、 雲がかった脳で問題を解き、失敗し、破滅していく人生を呪い、泣きながら寝るということを繰り返していた。 しかし、保険とはいったが、これでレートを上げてしまうのが外から見ると一番評価しやすいということは明らかで、 当時おれは競技プログラミングをやめるわけには行かなかった。 頭が常に重く、脳梗塞を起こしてるのではないかと思っていたが、 それでもやめるわけには行かなかった。

まだ3年半くらいの生活資金は残っていたが、 そんなことは関係なく、大事なことは収入がないままお金が減っていくという事実だった。 「差分に注目する」みたいなテク(笑)みたいなのが競技プログラミングにありそうだな。死ね。 ATMでお金を下ろし、残高がまた減ってるのを確認する度に、不安で死にそうだったため、 こまめに下ろすのではなく、しばらく下ろさなくて良くなるように一気に下ろすようになった。

税金が重かった。 1年目の国保が最大額、2年目もそこまで減らなかった。 収入がないのに、食費もそんなにはかけていないのに、ただただ税金パンチがおれをいたぶり続け、 おれは、老人に殺されるという感覚だったから、今でも老人に対してはヘイトがある。 この国の老人に対してはかなり怒っている。

こんな状態を続けていくと当然、どんどんパフォーマンスが悪くなり、 最後はCFも崩壊し水落ちし、ついにやめる決意が出来た。 これ以上やったら死ぬと思ったので、おれは就職活動を開始することにした。

Rustを書きたいと言い続け、 Rustを部分的に使ってるであろう、あるいはこれから使う予定があろう 会社をいくつか受けた。 そして全部落ちた。 無職が長いのが問題とはっきり指摘されたこともあったし、 経験がないなら無理ということも言われたこともあった。 おれは、Rustを書かせてもらえば誰よりも出来る自信があるし、 実際現状を見れば明らかにそうだったわけであるが、 結果としては落ちた。

結局最終的には、たまたまRustプログラマを探していた 今の会社に拾ってもらったわけだが、これは運でしかなかった。 ただ、本当に「単にRustを書けるだけの人」として採用されてしまったため、 給料はかなり下がった。もっともこれは最低ラインを決めていて、 それよりは十分に上だったから、 独身だということもあるし、 また上げればいいや、死ぬよりはマシだろうと思ってサインすることにした。 こういう時に「じゃあいやです」となかなか言えないところ、これも無職の辛いところだと思う。 とにかくおれはどんな形であれ、Rustaceanとして再出発することを選んだ。 そして今は、自由にRaftライブラリを作ったりしてる。

振り返ってみると、 無職のまま競技プログラミングをしたというのが最悪だったということの他、 日本では一度無職になると再就職がかなり厳しいということも味わった。 日本では無職というのは、前科くらい重い。

なぜそうなってしまうかというと、 正社員を解雇することが厳しいという事実は、 正社員を雇用することも難しいということに繋がるからだ。 採用する側から見ると、 仕事をすぐに辞めてしまうような人というのは相当にマイナスに見えるだろうし、 長期間無職の人というのは現状働く能力がないのではないかという風にも見えてしまう。 結局どこかでケチがつき、不採用となってしまう。 逆の立場で考えてみるといいが、今無職ですと言ってる人を採用OK出すのはかなり難しい というのが理解出来るはずだ。

もちろん、超級人材の場合はこの限りではないと思うが、 おれくらいだとこういう扱いになってしまう。

しかし、もし1年就職活動を遅らせていたらどうだったどろうか? コロナが世界中にばらまかれ、経済はかなりダメージを受けた。 実際、採用を停止しているところも多いし、そうでなくとも基準は厳しくなってくる。 解雇された人、内定先を失った新卒、世の中は絶望で溢れかえっており、 おれのブログにおける自殺記事は人気記事となった。 コロナ期における自殺方法ランキング 無職でいることのやばさを身を持って体験したからこそ、彼らのやばさがよくわかる。

もし1年就職活動が遅れていたら、これに巻き込まれていた可能性が高い。 そう考えると運が良かったとも言えるんじゃないかな。

おれの人生はラッキーの連続だ。 中学受験塾も入塾当時は下から8番のギリギリ合格だった。 麻布中学もきっとギリギリだったんだろう。 京大もギリギリセーフで滑り込んだ。 日立も長のおかげでなんとか入ることが出来て、 希望どおり カーネルを学ぶことが出来た。 1回目の無職からの復帰もラッキー。

しかし今回はやばかった。 さすがのおれも自分の運を信じられなくなったものだ。 サイの目をしくったあとの房州状態だった。

結論としては、無職になるのはどんな理由であれ絶対にやめろ。 辞めるならば必ず、納得出来る次を探してからにしろ。 もし、おれはてめえとは違って超級人材だというのであればしらんけど。

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