中学受験の御三家は、開成、麻布、武蔵。これは誰でも知っている。 知らなければ、それは田舎者の証である。
この中で、大学受験成績ひいては偏差値の低下から、「もう御三家から外した方がいいのではないか」 などと呼ばれている学校がある。武蔵である。
おれが中学受験をした25年前では、今ほど凋落が叫ばれていなかった印象があるのだが、 今では駒東や渋幕などの躍進があり、駒東の方が御三家と呼ぶにふさわしいのではないかと呼ばれた謎の時期もあり、 今では鉄緑会の指定校からも外されてしまったようである。
おれも武蔵という学校のことは知っていた。 おれの母校の麻布のようにクレイジー自由な学校が他にもあるという知識だけはあったが、 武蔵がどこにあるのか、どんな問題を出すのかは知らなかった。
最近になり、自分がした中学受験というものは一体何だったのかと興味を持つようになり、 中学受験に関するYoutubeチャンネルをいくつか見ていて、声の教育社( 通称「声教」。おれが中学受験をしていた時からずっと中学受験の過去問集を作ってる会社である。 ちなみに大学受験の赤本を作ってるのは教学社) のチャンネルで武蔵の理科に関する論評動画を見て、武蔵に興味を持った。
武蔵の中学受験は何が面白いのか。 武蔵の理科では、「おみやげ問題」という問題が出される。 おみやげ問題では、受験生ひとりひとりに封筒が渡されて、その中にネジだとか鉛筆だとか小物が入っている。 それをよく観察して、スケッチし、考察するという問題が毎年必ず出題される。 その小物はおみやげとして持ち帰ることが許されている。
武蔵の教育では、観察が重視される。受験問題はその学校が求める生徒像に関するメッセージだと言われるが、 武蔵のおみやげ問題は直球ど真ん中のメッセージといえる。 他にも、算数の問題は一貫して問題が手書きされている。 これは、伝統と人間味を大事にしている学校のカラーだと考えられる。
という経緯で武蔵に興味を持つようになり、
名門校「武蔵」で教える東大合格より大事なこと
という本を読んでみた。
武蔵は、もともと旧制武蔵学園として設立され、当初は、この学校で中学から7年間学ぶことにより 東大への進学が無試験で許されるという超エリート校だった。 今では偏差値的にはだいぶ落ちてしまったが、古い偏差値表を見ると、開成や麻布よりも上にあった ことがわかる。 そこでは、大学受験を無視したより本質的な教育が行われており、今でもそれが続いているわけである。
本質的な教育とは何か。 それは一言でいうと、開成や灘が育てるような、与えられた問題を解く受験マシーンになるためではなく、 問題に対して主体的に取り組む姿勢を養うということである。 自ら調べ、自ら考えるというこの姿勢は自調自考の精神と呼ばれている。 そういう人間を育てるために、武蔵では、 GoTo東大ママの目から見ると無駄としか思えないような 授業が行われており、その代償として、大学受験成績では振るわず、 SAPIXのような大手の中学受験塾からも半ば見捨てられてしまっている。 当然、入ってくる生徒の学力的な質は落ちてくるから、残念ながら大学受験成績の点では悪循環に陥っている。 (これは麻布も同じような感じだが)
武蔵はこの現状に対して、少しは大学受験のことを考えた教育システムに改革することを考えているらしいが、 もったいないのでやめてほしい。
おれは、東大に行くことを正義とした教育システムというものがとても嫌いで、 その価値観の権化ともいえる開成のことが本当に嫌いで、 御三家から外れるべきなのは開成だとすら思っているくらいなのだ。
おれは京大卒なので、以下は負け犬の遠吠えだと思って聞いてもらってよいのだが、 おれは、東大は日本一レベルが高い大学という意味では良い大学だとは思っているし、 東大に入ることは素晴らしいことだとも思っている。 しかし、東大を目指したところで、本当に優秀な人間になるかは別問題だと思っている。
おれはクイズ王というのが本当に嫌いで、あれが出来るから何の意味があるのかわからない。 東大に合格するというのは、たくさんの知識を頭に入れ、ミスなく回答をし、高得点をとるという点では クイズ王を目指すのとあまり変わりがない。 おれはこれが教育の正しい方向性であるとは全く思わないし、 東大卒の多くが大したことはないことも知っている。 彼らはクイズを解くのが得意なだけだからだ。 東大卒は使えないと言われることがあるという。 これはやっかみから言われてるものと思われているかも知れないが、 事実である側面も大いにあると思う。
問題に対して正しい答えを出すことが正義という価値観の中で育つと、 自分の頭で考えることを放棄するようになってしまう。 受験勉強をするとき、問題集の最後には必ず解答がついている。 そして受験勉強のテクニックとして、問題を見てわからなければ、 答えを見てしまってそれを理解してから問題を解くべきというのも広く実践されている。 その上、問題集を何周もして、問題を見た瞬間に解答が浮かぶようにすべきというのだ。 ここまで行くと一体何をしているのかわからなくなってくる。まるで曲芸だ。
これを自分の頭で考えているなどとは言わない。むしろ放棄している。 それは、ただ問題と答えが一対一対応するように、自分の脳神経をチューンしただけである。 それは、問題を聞いた瞬間に早押しし回答するクイズ王になるのと変わりがない。
こういう価値観を正とした成れの果てが 「早く答えを教えてください」「まだ習ってないからわかりません」 という学生の出現である。最近は東大ですらこういう学生がいるという。 いや、東大だからというのが正しいのかも知れない。 彼らの中での学ぶという行為はすなわち、問題に対して解答を対応させることだからだ。 クイズ王の出身者に開成や灘が多いというのは、当たり前のことなのだ。 彼らの価値観そのものだから。
では、自分の頭で考えるというのはどういうことなのかというと、 おれ自身が自分の頭で考える型の人間だという前提に立って話すと、おれは答えを教えられるのを拒否する。 自分の頭で考えている時に、答えを教えようとする人間がいたら、そいつを殺す。 あくまでも自分の頭で考え抜いてみることが人生の楽しみそのものであり、 それを奪われるならば、極端にいうと殺されてるに等しいから、殺す他ない。
本を読んだ感想からいうと、 武蔵で学んだ人間というのは、自分の頭で考えることを楽しめるようになると思う。 素晴らしいことだ。 おれも麻布という、比較的似通った学校で自分の頭で考えることの楽しさを知った。
武蔵にはみんなで行く修学旅行がない。 これは、みんなで一緒の行動をするということが武蔵の精神とそぐわないからである。 残念ながら麻布には修学旅行があるのだが、実はおれは、修学旅行を放棄し、函館を一人で旅していた。 部活のメンバーと合宿やらスキー旅行やらさんざん行った手前、 修学旅行にどういう意味があるのかよくわからなかったのと、 土方歳三(おれは新選組が好きで、高1の時に書いた社会科論文は土方歳三論だった) が最後に戦った五稜郭を自分の目で見てみたいと思ったから、 担当にそのように伝えたらあぁそうかいいんじゃないかとなり、おれは一人函館に向かった。 どうやら、時々おれのようなやつはいるらしいことを聞いた。 親もいちいちうるさいことは言わず、あぁそうかわかったという感じだった。
当時は函館新幹線なんかなかったから、まずは新千歳に飛び、南千歳から特急に乗り函館へ。 車窓から見える風景は海ばかりで退屈なものだったが、それでもワクワクしていた。 函館の夜景は百万ドルと言われるが、それは本当にきれいだった。 今、最新のフライトシミュレータで夜景を見に行っても、同じものは見られない。 函館にあるドイツソーセージやさんでソーセージを食べたが、これは最高にうまかった。 (たぶん、ビールは飲んでないはず) その帰りだったか、路線バスの乗り方がわからず、混乱してタクシーに乗ってしまい 4000円だかとられて涙目になったのだが、それも今となってはいい思い出だ。 ただし後遺症で、それ以来、タクシーに乗るのは怖くなった。
おれは麻布卒だが、実は武蔵卒なのではないかと思うようなところがある。 麻布と武蔵が教育方針的に似た学校だということの証拠だと思う。
若い時の一人旅は特に、人間を成長させる。 武蔵には、第三ヶ国語の授業があり、英語以外の言語を学ぶ。 初級は必修だが、中級と上級は任意となっている。 当然、だんだんと人が減っていくわけだが、最終的に上級まで残った 中の上位10人をその国に一ヶ月間も一人旅をさせる制度がある。(当然費用は学校持ち) しかも大学受験の直前に。 中には海外は初めてという子もいるそうだが、 言葉も基本的なことしかわからず、 異国の地に単独で放り込まれた時に受けた刺激は 確実に人生に大きな影響を与えると思う。 実際に体験し、自分の頭で考え抜いた経験こそが 人間を真の意味で成長させるという教育方針がここにも表れている。 ここには当然、国際社会で活躍するリーダーになってほしいという願いも込められている。
武蔵の教育について他に素晴らしいところは本にたくさん書いてあるから 興味のある人は読んでもらえばよいと思う。 スーパーサイエンスハイスクールへの批判など、実に武蔵らしいと思ったし、理解出来た。 この本を読んで、やはり武蔵はダメだと思う人は、本人の人生がダメなんだとしか言いようがない。
その上でもう一度言いたいのは、武蔵は今、SAPIXや鉄緑会といった塾業界から半ば見限られ、 経営的にもあまり良い状況ではないらしく、新任した杉山校長の改革に 期待が寄せられているわけだけど、決して、開成的な価値観(武蔵の言葉でいうと「あっち側」) を取り入れないでほしいということ。そうしたら、江古田にあるただのつまらない学校になってしまうから。 今は、聖光や、渋幕、広尾学園などが伸びてきているように、 大学受験的な意味で良い教育をして、合格実績の良い学校が人気のある傾向にある。 この意味では麻布も苦戦しているわけだけど、 必ず、今人気の開成的(あるいはSAPIX的)な教育が間違っていて、 麻布や武蔵のような教育が見直される日が必ずくる。 クイズ人間なんか、ゴミだ。