ルシファーが2日目に慶応湘南を受けた理由

ルシファーの中学受験日程は1日目麻布、2日目慶応湘南、3日目筑駒。 結果は麻布と筑駒に合格し、慶応湘南は不合格だった。

この受験日程は常識的に考えれば異常だということは

2000年以前の中学受験偏差値表

において話した。ふつうに考えれば、栄光の一手なのだ。 実際、おれは麻布栄光と受けた。AV男優の森林原人も同様だ。

さらに考察を続けた結果、おれは新たに3つの可能性に気づくことが出来たため、 それを共有したい。

制服がイヤ説

栄光の制服はださいことで知られている。栄光の制服はださいから、栄光には行きたくないという人は少なくない。 おれもその一人だ。

しかしルシファーの場合、別の理由で制服を嫌った可能性がある。 ルシファーは今もかなり体型が豊かであるが、当時からそれなりに豊かであったため、 制服はどうしてもブカブカかキツキツかのどちらかにならざるを得ない。

奇しくも、ルシファーが受験した3校はすべて、私服である。 正確には、慶応湘南は下に関しては制服があるのだが、上に関しては自由とされる。

これは、制服を着せられることを嫌ったということではないだろうか?

栄光の面接がイヤ説

栄光は、今では面接なしの試験一発勝負だが、 当時は面接があった。

しかも、 ゴリゴリの超進学校には似つかわしく、 面接はかなり比重が重いという説があった。 縁故合格などもあると噂されていた。

そのため、 おれは苦手は面接を改善するために、 塾で何度も面接練習をした。 その回数はなんと5回だ。

【25年目の麻布中学合格体験記】地獄の面接練習5連チャン

おそらくルシファーも同様に面接は苦手なタイプなのだろうと思う。 だから、栄光は避けて、 父親が慶応理工出身であるということが活きる可能性が高い 慶応湘南の方を受験したのではないかと思う。

おれの場合、面倒見の良い塾だったため 面接特訓に時間を割いてくれたが、日能研のような超大手塾では いくらルシファーが筆記での突破はほぼ確レベルといえども、 そこまではケアしてもらえないだろう。 それにルシファーの場合、面接の特訓をしたとて落ちる可能性が高い。 なんせ、理三に面接を復活させたと言われる男だ。

実際にはその年の栄光は、面接の比重を減らしたと言われている。 そしてその後何年か経って、面接は廃止された。 面接によって学力エリートを落とすことは無意味だと理解したのだろう。

(やや弱い)本当は栄光を受けた説

他の説としては、本当は栄光を受けて落ちたが、 ゴッドエイムあきらが栄光を受かったと言ってるのが癪なため、 慶應湘南を受けたともっともらしいことを言ってるというのもあるかと思ったが、 そういう嘘がつける人間ならば今のようにはなっていないだろう。

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