みなさんは、入れ墨のある人のことをどう思うだろうか。 入れ墨のある人とは出来るだけ関わりたくない。そう思う人が日本においては多いと思う。
では、それはなぜだろうか。 入れ墨のある人の背景に暴力団など反社組織がチラつくからだろうか。 結果的にはそうかも知れない。 しかしより根本的な理由は、その人自身に無敵性を感じ取っているからだと考えられる。 無敵性とは、無敵の人的なスメルのことである。
海外はともかく、日本では入れ墨のある人間は不利益を被ることが多い。 公衆浴場には行けなくなるし、就職なども不利になることがある。 また、入れ墨は金属成分を含むためMRIを撮れなくなり、医療面でも不利益を被ることがある。 そしてこれら事実は、広く知られている。
つまり、入れ墨をしている人というのは、 そういう事実を知っているにも関わらず、 入れ墨を掘ったということになる。 言い換えると、社会的にどう評価されようが、 不利を受けようがどうでもいいと考えているということである。 これはまさに、無敵の人の定義そのものである。
次に低学歴の人間について考察する。
日本においては、 出来るだけ上位の大学に行くことが その後の人生にとって非常に有利となる。 大学名は就職の時にしか役に立たないという人がいるが、 実際にはそんなこともなく、 また仮にそうであったとしても、 上位の大学に行って上位のホワイト企業から 社会人生活をスタートさせることは、 やはりその後の人生にとって大きなアドバンテージとなる。 この点についてはとりわけ、 ブラック企業からキャリアをスタートさせるとその時点で詰みとなるが、 これを回避出来る点が大きい。 これは、広く受け入れられた事実であり、 だからこそ多くの人は、出来るだけ偏差値の高い高校に入ろうとするし、 受験前には進学塾に通って勉強するのだ。
おれの考察によると、よほど境界知能(あるいはエンプティノーズなどの知能に影響を与える病気)でない限りにおいては、 きちんと勉強をすれば、旧帝大か、最低でも早慶あたりには行けるだろうと思う。 つまり、そのラインにも到達していない低学歴人間は 半ば人生などどうでもいいと言ってるに等しく、 入れ墨のある人間と同様に、無敵の人と言えるのだ。
あるいは、そこまで極端な主張をしないにしろ、 最大限の努力が出来ない人間であるということは確かといえる。 このような人間は何かあるとすぐに他責するし、存在自体が公害といえる。
低学歴公害無敵人間は
受験生のみなさん、頑張ってください。