他人を学歴によって評価する人間は俗に「学歴厨」などと呼ばれる。 しかし、どういう仕事をするにしろ、新しいことを学びそれを活用する能力は重要性が高く、 試験勉強というのはそれをもっとも単純化したものであるから、 学歴が高い人間の方が仕事が出来ることが多いというのは否定しようのない事実である。 したがって、学歴によって他人を評価することには一理がある。 これを学歴厨などと呼ぶのは、遺伝子ワクチンに反対する人間を反ワクやら陰謀論者などと 呼ぶことに等しい愚行である。
では一方、低学歴は仕事が出来ないかというと、 やはり基本的には出来ない傾向がある。 しかし一部は、学歴は大したことがないのに感心する人間もいる。 この説明として、地頭はいいけど勉強をしなかっただけとか、 たまたま受験に失敗してしまっただけとか理由をつけることがあるが、 そういう次元ではない低学歴なのに、感心する人間が確かにいる。 例えば早慶とか最悪MARCHくらいならば、国立の受験に失敗してしまったと 考えることも出来なくもないが、それ以下だとそういえるレベルにない。 でも確かに、低学歴なのに出来る人はいるのだ。
非クズの低学歴と、クズの低学歴の間にはどこに違いがあるのだろうか。
低学歴であるからには、計算能力だとか、受験に必要な能力はどう考えても低いのだろう。 少なくとも東大や京大に行くレベルには絶対にない。 だから、こういう筋力や走力のような能力は低いのだ。
では一体、非クズの低学歴は何が優れるのだろうか。 あるいは逆に、クズの低学歴は何が劣っているのだろうか。
おれはIT業界のことしか知らないから、 例として、低学歴ITエンジニアについて考えてみよう。 この架空の物語の中で、あなたはFラン出身の低学歴ITエンジニアだ。
今ではITエンジニアはずいぶんと人気の職業になったが、 10年前20年前では馬でも鹿でもなれるような仕事だった。 親の世代では、キーボードのブラインドタッチが出来るだけで ハイマニーのバイトがあったということも聞くから、 あながちこれは間違いではない。 おれが京大に入学した年、京大情報学科の合格最低点は工学部の中で最下位だったと いえばきっと驚くのではないだろうか。
しかし今では、京大や東工大では情報学科の偏差値が群を抜いて高くなり、 東大でもコンピュータサイエンスを学ぶためには進振りで強烈な競争を勝ち抜く必要があると聞く。 そのため、一般的なIT企業の新卒は自然と高学歴が多くなり、院卒は珍しくなくなった。
このような状況で、ただ生まれた時代が良かっただけのあなたはどう考えるだろうか。 自分の地位を必死に守ろうとするのではないだろうか。 それこそ、生まれるのが早かっただけなのにその既得権益を必死で守ろうとする 日式老人と同じ思考で、自分の地位を守ろうとする。
地位と守るとは何だろうか? それは当然、職位を逆転されないことであるが、 そのためにはまず、自分の馬鹿を隠さなければいけない。 馬鹿と思われたら終わりなのである。 そのためには何をするだろうか? 一番簡単なのは、自分からは意見を言わないことである。 意見を言ったら馬鹿がバレるかもしれないからだ。 発言するにしても、誰それがこう言ってたとか、 ひたすら虎の威を借る戦略をとるべきだろう。
ある日、職場に旧帝大院卒のエンジニアが新しく入ってきた。 繰り返す。あなたはFラン出身の低学歴ITエンジニアだ。 彼がどういうレベルのことを大学で学んできたかはもはや想像することしか出来ない。 あなたは想像に怯える。 今自分が悩んでいることは彼らにとっては秒でわかるような自明なことかもしれない。 この疑問を共有したら、これだから低学歴は困るとせせら笑われるかもしれない。 ドキュメントなども馬鹿がバレるかもしれないから書かない方がいい。
こうやって低学歴の人は自分の殼に閉じこもるようになる。 その結果、質の低い仕事をするようになるが、 一般論として、他人の仕事の質が低いとしても、 それが完成したあとに指摘するのは難しい。 だったらもっと早く言えよということになるだろうし、 あるいはじゃあお前がやれという話になるかもしれない。 自分の殼に閉じこもってゴミを生み出した低学歴が悪いのは明白なのだが、 社会ではそうはならないのである。 その結果、低学歴は 一生誰からも指摘なく、 一生成長なく、 一生程度の低いアウトプットをし続けるというわけである。
それだけでなく、低学歴は上に述べた理由から情報共有を 避けるようになるから、これによって組織の生産性が低下する。 お互いが正直に意見を言い合える職場のことを 心理的安全性が高い職場というらしいが、 低学歴は自ら心理的安全性を放棄してしまうのである。
だからおれの説では、低学歴がいる職場では心理的安全性の成立は不可能である。 心理的安全性はグーグルのように優秀な人間だけが存在する組織でのみ成り立つ概念であり、 それ以外の組織においては成り立ちようがない。 より正確にいうと、学歴差がある組織ということになろうか。 全員が低学歴の場合にも、サファリパーク的な心理的安全性は成り立つように思う。 高学歴すぎると低学歴中心の会社には弾かれるということがあるが、 これはこのようなことを経験的に理解しているからだろう。
非クズの低学歴に立ち戻ると、 確かに彼らは自分から積極的に情報共有をしようとする。 それは組織の中でもその傾向があるし、 あるいはITエンジニアならばオープンソースやブログで 情報を積極的に公開していることが多いように思う。
みなさんは低学歴だろうか。 だとすると、クズか非クズか。 どちらだろうか。