ラブフリの結婚観
Love&Freedomという底辺系ユーチューバーについて話す。
前も話したと思うが、 ラブフリは大学院で心理学を専攻したあと、 どこかの大病院でそれ系の仕事について、 そこからそれ系のクリニックを転々として、 今は警備員とか清掃とか、彼のいう「底辺労働」を掛け持ちして生きていて、 もうすぐ40になったらすべてを諦めて、 生活保護で生きることを宣言している人間である。 そこまでがんばったら、諦めることを自分に許そうというのである。
彼の特徴として、 というかこれはどういうわけか 底辺系ユーチューバー全般に共通することなのだが、 結婚願望はゴキブリの生命力並に強い。 自分のゴミクズ遺伝子なんか残す意味はないと卑屈になるのが相当に思うのだが、 どういうわけか揃って結婚をして子供を作りたいという。
結婚をして両働きをすることで生活を多少でも良くしたいという 底辺婚は良くあるのだが、 そういう目的で結婚を望んでるのではなく、 ラブフリは「貧乏でも暖かい家庭を作りたい」という。 貧しい暮らしでもいいから、家族で寄り添って生きていくという家族像を 思い描いている。
これには、身勝手だとして反対したくなる気持ちもわかる。 貧困の再生産になるからだ。
この結婚観は理解出来る
一転変わっておれの話になる。 おれも同じ家族像を描いている。結婚するのであれば、そうなりたい。 別に、自分の優れた遺伝子を残したいとか、 そんな気持ちではなく、単純に、貧しい暮らしの中で寄り添っていきる家族こそが 理想だと考えるからだ。
月収18万円なのに11人家族だとかいう家族が テレビに取り上げられると、ツイッターは自分勝手だとか、 子どもは不幸だとかいう根拠のないコメントであふれるのだが、 果たしてそうだろうか? おれにはどうも、そうは思えない。 お金がないことは事実にしろ、真に幸せなんじゃないだろうか。
おれの好きな歌に、玉置浩二のメロディーという曲がある。
その一節に、
あの頃は何もなくて、それだって楽しくやったよ
という詩がある。
この詩には色々な解釈が存在しうるのだが、 おれの解釈は、田舎から都会に出てきて、それなりの仕事もし、家庭も得たが、 文字通り、田舎で何もない中で友達や恋人と楽しんでいた時の方が楽しかったなぁ と懐古しているというものだ。
家族についても同様に、 貧乏な生活の中、家族で創意工夫をして楽しさを見つけて、 自分たちだけの思い出を作っていくことにしか真の幸せにはたどり着けないと考えている。
豊かになったこの社会における思い出というのは、与えられるものだ。 どこどこに行った、なになにを食べたという類の。
厳密にいえば、感じることは人によって違うため、思い出は人によって違う。
しかし、おおまかにいえば同じであるといえる。 なぜならば、与えられるものの色が強すぎるからである。 例えば、おいしいパンケーキを食べた女子のインスタグラムはどれが誰のものとも わからなくなる。ディズニーランドに行ったでもそう。全員同じになる。 感想を聞いてもきっと全員同じだろう。
これは語彙力不足というのもあるとは思うが、 その語彙力不足すらも、現代が、考えることを必要としないことを起因とするのだ。 小説やアニメでも同じだ。書いてあるまま見たままにしか解釈出来ないものが増えてきた。
しかし家族愛に対しては、おれはおれなりの解釈をしたいのだ。 ありふれた結婚生活ではなく、自分たちだけの真にオリジナルの思い出を作りたい。
そのためにはモノから隔離される必要がある。貧困になる必要がある。 月収18万11人家族のように、 外からはあそこは貧乏だから不幸せだと思われるだろうが、 実はそうではないというのがその幸せが真であるということだと考える。 モノに満たせれてしまうと、そこから先の真の家族愛にはたどり着けない。
なぜラブフリはこう考えるのか
ラブフリのすべてを知っているわけではないが、 ラブフリがこういう結婚観を持つ理由は想像がつく。
彼の親は不仲であった。
彼が20歳の時、親に呼び出されて 言われたことは、二人が離婚するということであった。 その上で、彼は親から大学卒業までのお金を残されて、 どちらの親からも疎遠となる。 彼らは、完全に離散し、過去の20年間は「なかったこと」になった。
それから20年近くが経ち、つい最近になり 親を保証人として立てることが必要になり、 子どもの頃通っていた教会を便りにして再会するまでは 一度も会うことはなかった。
彼の家は決して貧困ではなかった。 むしろ裕福であった。 しかし親は不仲であった。 だからラブフリは、お金は愛に還元出来ないことを知っている。
彼が、お金をぽんと渡されて孤独になった時、 何を感じただろうか。 お金で解決される家族関係というのは虚しいと感じたはずである。
だから、彼は貧困の中に真の幸せを求める。
と、おれは考えている。