日本人には向上心がないから個がない仮説

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151013-00000528-sanspo-spo

「日本のラグビーは力を発揮しきってないと常々感じていた。良い選手がたくさんいても、文化がプレーするということに直結していない。高校から大学、トップリーグまでそう。規律を守らせ、従順にするためだけに指導されている」

頭脳労働の世界は、完全に個の世界である。ラグビーなども、チームスポーツではあるが、個の世界である。まず、チームで働くから個を抑圧する必要があるという誤った発想自体を捨てる必要がある。少なくともITの世界では、スタープレイヤーの少数精鋭でしか、世界と戦うのは不可能になっている。

このコーチは興味深いことを述べている。日本は、トップレベルの選手までも全員が抑圧されているというのだ。つまり、抜群の才能を持っていながら低レベルな集団の歯車として生きるように訓練されているということだ。その中で、多少なめらかな歯車か、ぎしぎしの歯車かの差しか認められないことに甘んじているのだ。私はこれに驚いた。日本の私立中学を見れば分かるとおり、トップレベルの学校は自由を重んじている。これは、抑圧された日本社会においても、優れた人間は個を伸ばすことを例外的に許されているからなのだが、なんとラグビーは違うというからだ。おそらく、日本の全スポーツ分野において、同様の傾向があるのではないか。

なぜならば、それが日本人の精神性に根ざしてる可能性が高いからだ。ボディビルダーの北島氏は、このビデオの中で「日本人は精神性的に筋トレに向かない。なぜならば、結果が出なくても、がんばればいつか結果が出るはずだと変に耐えてしまうからである」と述べている。だから社畜になる。耐えることが美徳と思っている人すらいる。残業自慢が蔓延る。しかし実際には、筋肥大しないならば方法が悪いと考えるべきだ。残業が長いならば、なぜそうなのか?もっと効率的に出来ないのか?と考えるべきだ。働いても働いても人生が幸せにならないならば、根本的に何か間違ってるのだと疑うべきだ。

理想的な社会では、例外なく全員が個を認められて、抑圧されずに生きられるはずだ。耐えるとか継続するとか頑張るとかいう、誰でも出来ることに妥協するのではなく、もっと出来るはずだと考え始めることから個が生まれるのではないかと考える。言うなれば、向上心こそが個の源なのである。

つまり、日本人が社畜傾向なのは、教育がどうとかそういう以前の問題として、「向上心がないから」というのが理由なのではないか。もちろん例外はある。先に述べたように、私立中学では向上心があり優秀な子供は個を重視するという傾向があるから、向上心があれば個が重視され、自由になれる例はある。

向上心があれば、自分の能力ならばもっと給与をもらってもいいはずだという考えが根付くはずだし、今のように、アメリカがそうだからという外的な抑圧的理由からではなく、もっと内的に成果主義を受け入れることが出来るはずなのだが、日本人には向上心がないからうまくいかないのだ。

だから、短い距離を速く走ることが役割の選手が、ひたすら中距離走をやってスタミナ強化を目指すということが起きる。武井壮は、陸上の世界において冬季練習としてスタミナ作りと称して長い距離を走ることは間違いであり、短距離を速くなりたいなら短距離を練習すべきだと乱暴な議論をして、たまたま正解に辿り着いているのだが、実は、短距離に才能がある人間は、長距離をいくらがんばってもスタミナが伸びないということが遺伝子研究の結果で分かってしまっている。つまり、短距離に才能があるならば、マックスの筋力を伸ばすことによって結果的に低負荷での出力が楽になるように成長させるしかないのだ。100kgのベンチプレスが出来る人ならば60kgのベンチプレスを20回くらいは出来るのと同じだ。

この程度は、向上心があるならば考えて調べれば分かることだ。つまり、ひたすら中距離走をしていた人は、ただコーチの言うことを受け入れるだけであって、自発的な向上を持って練習をしていたわけではないのだ。これは、日本人に共通する向上心がないという性質によるものだから、この人だけが特別なわけではないのだろう。

なぜ日本人には向上心がないのか?向上心はどこから生まれるのか?ということについては、また今度考えようと思う.

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