wikipediaによると、鎖国が本当に終わったのは1854年という歴史的認識だそうだ。しかし私の認識は違う。日本はいつまで鎖国を続ける気であろうか。
最近、弊社でも外国人インターン受け入れや、外国人外注などが積極化している。私が住むこの寮にも人種問わず様々な外国人が住んでいる。彼らは出社中は幾分気楽かも知れない。周りに英語が話せる人がいて、日本語が分からないことがあれば聞けるからだ。しかし何のガイドもない荒野に置き去りにされてしまうと、生きていけないかも知れない。
先ほど私が食堂で弁当を温めていると、どこの国籍であろうか、外国人が、「この焼きそば作り方わからないし教えてくれ」と聞いてきた。その焼きそばはそのままでは作れなかった。皿が必要なのだ。麺だけの提供であり、皿は適当に用意してくれという設計になっている。私は、電子レンジを使っての調理法を教えたのち、彼に皿の事を説明して、コンビニに行って皿を買ってきたらどうかと提案した。すると彼は悲しい顔をして、「皿を手に入れたらいいんだね」と言って、コンビニに出かけていった。私は、彼はきっと(コンビニ店員に適当にあしらわれて)間違ったものを買ってくるだろうし、それによって私に八つ当たりするだろうと読んで、すっと部屋に引き返してきた。君子危うきに近寄らずが私の基本ポリシーだ。私も外国人に対して冷たい人間の一人だが、説明をしてあげただけ幾分血が通っている。
その製品は日清の商品だが、国際的に成功している日清の商品がこんなことで良いのだろうか。百福氏はあの世で嘆いていないか。英語の説明文をプリントするのはコスト上無理としても、例えば印字されたQRコードを読むと英語文章に辿り着けると言った工夫があっても良いはずだ。我々が彼らに日本語を勉強しろと言うのは酷(日本語を読むのは外国人にとって非常にハードルが高い)なので、こちらがケアすべきではないだろうか。政府としても、こういったケアを義務づけるべきではなかろうか。母子手帳なんか作ってる場合じゃなかったことは明らかだ。 一体どこに何のコストがあろうか?日本語の文章をGoogle翻訳するだけで良いのだ。もちろんGoogle翻訳の精度は完璧ではないので、冒頭に「Google翻訳によるものだから誤って理解されても責任はとれない」という旨を書けばいい。しかしそれだけでも随分良くなるはずだ。少なくとも、そこに何が書いてあるかの理解にはなる。完璧を目指す必要はどこにもない。これならば、中国語でもヒンドゥー語でもポルトガル語でも自動的に生成出来る。
私はこの現状に悲しみを感じる。