他人に興味がある人間は劣っており、危険である。

昨日、安倍晋三が撃ち殺された。 殺されたことは事実だろう。そして、撃ち殺されたこともほぼ事実だろうと思われる。 しかし、山上が本当に殺ったかは怪しい。 ビデオを何回見ても、山上の撃ったショットガンが安倍を殺しているようには見えないからだ。 むしろ、あれはフェイクであり、別の凄腕アメリカンスナイパーが安倍を射殺したと見るほうが自然であり、 そして医者の初見とも合致する。

ところで、事実として安倍晋三が死んで、 ツイッターでは多くの人が「ショック」を感じているそうだが、 これがまるで理解出来ない。

安倍晋三は他人であり、 安倍晋三が死んだところで、おれが悲しむ理由がない。 それどころか、こういうと不謹慎だとかなんとか非論理的なことを言われるんだろうが、 安倍晋三は死んで当然だとすら思う。 彼は遺伝子ワクチンを推進し、国民を虐殺した。 彼は台湾に余り物のアストラゼネカ製ワクチンを送りつけ、台湾国民を虐殺した。 本当に誰が撃ったかは置いておくにしても、 大量虐殺犯が銃により暗殺されるのは、さほどおかしなことだとは思わない。

さて、ある人が死んだ時、別のある生きてる人が悲しむための条件は何かと考えると、 おれが父親を亡くした経験からいうと、 それは、まだ話すことがあったはずなのに話せなくなったということに尽きると思う。 話せたはず時期と、話せなくなった時期の境界が悲しみのピークであり、 実のところ悲しみというのはそれから日が経つごとに消失していく。

安倍晋三がこれに当たるのだろうか? 安倍晋三はお前の恋人か何かだろうか。違うだろう。 安倍晋三は赤の他人であり、 ただの有名人に過ぎない。 アイルトンセナがレース中にクラッシュして死んでも、 コービーブライアントが航空機事故で死んでも、 あの素晴らしいプレイが見られなくなって残念だと思う以上には感情はわいてはこない。 安倍晋三についても、仮に彼が優れた政治家だったとしても、 その手腕を残念がる以上のことはない。 人が死んでショックという感情がわくのはおかしいのだ。 だってお前は安倍晋三を話したことがないだろう。 まさか安倍晋三は仮想恋人で、安倍晋三の写真でオナニーしてたのか?恐ろしいな。

それどころか、赤の他人が死んだ時に悲しむということは非常に危険なことでもある。 これは、有名人が自殺したときに精神汚染されて追い自殺をしちゃうようなことを危険と言ってるわけではなく、 赤の他人に対して興味を持ち、その死を自分の家族やあるいは自分自身に照らし合わせて感情移入出来てしまうというのは、 その感情が憎しみだった場合に、対象に対する攻撃(いじめ、パワハラ、ストーカー、殺人など)に繋がるポテンシャルがあるということを意味するからだ。 ここでは、感情が正なのか負なのかの違いしかないのだ。

実際、山上徹也がその一人だろう。 彼は安倍晋三に興味を持ち、しかしその興味が殺意になり、 安倍晋三の屠殺を試みた。

ではなぜ人は、他人に興味を持つのだろうかというと、 それは、自分への興味が薄いからだ。 自分が平凡であり、無価値であり、自分に対して興味を持つことに意味を感じないから、 他人に興味を持つのだ。 その対象がジャニーズだった場合、当人はジャニヲタということになるが、 ジャニヲタはブサイクだらけであることで有名で、 自分に対して興味が持てないからジャニーズに興味を持つと説明出来る。

逆におれが他人に対して興味がないのは、 自分が優秀な人間であり、おれ自身自分に対して強烈な興味があるからだ。 だから、安倍晋三ごときがぶち殺されようが、おれの心には響かない。 それは些末なことだからだ。

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