なぜ反ワクというレッテルを貼りたがるのか
おれはコロナワクチンの接種についてはかなり懐疑的で、 当初からこのテストステ論においては、 コロナワクチンの薬害について書いてきた。
その甲斐あってか、おれのことを反ワクと呼ぶ人間は少なくない。 非国民、馬鹿、こう呼ばれることもある。
おれより馬鹿な知的障害野郎に馬鹿呼ばわりされる筋合いはないが、 反ワクと呼ばれることはむしろ良いことだ。
なぜ、彼らはワクチンに懐疑的な人間に対して反ワクというレッテルを貼りたがるのだろうか。
第一に、彼らは自分たちの行為を正当化するために他方面をただ攻撃しているだけに過ぎない。
第二に、そしてこちらが今回の主旨となるが、反ワクを「反」と「ワク」に分解した時、 彼らにとって大事なのは「反」の方であり、ぶっちゃけ「ワク」はどうでもいい。
公立の小学校なんかでも、 先生の言ってることに対して逆らう人間は無条件で悪と決めつける人間がいただろう。 なぜ彼らがそうするかは、上の者がいうことに思考停止し無条件で従うことは楽であり、 またそれが彼らの能力の限界だからである。
つまり、彼らの中では文脈はなんであれ「反」は悪なのだ。 反対、反抗、すべては悪なのだ。 程度の低い人間というのはそういうものである。
晴れた日に丘の上でピクニックでもしませんか
今、形勢は明らかにワクチン懐疑派に傾いている。
- ワクチンの薬害は確定し、ニュースでも度々取り上げられるようになった。 閉鎖的な日本社会には、ワクチンの薬害を口に出来ない雰囲気が以前にはあったが、 今はそうでもなくなってきた。
- 3回目の接種についても、比較的若い層では 政府の嘘に気づく人が増えてきたのだろうが、 打ち控えが進んでおり、接種率は30%ほどで頭打ちしている。
- 実際にワクチンには効果がなく、ただ薬害があるだけなので、 ワクチン分科会は4回目の接種中止を検討し始めている。
- 海外では、ワクチン中止、マスク中止を決定するところも出始めてきた。
日本社会においても、マスク不要になることはおよそ時間の問題であり、 ワクチン接種者を優遇するようなふざけたキャンペーンもただ差別的だとして 廃止されるだろうと予想出来る。
つまり、ワクチン未接種の我々にとってはあとはじっと待つだけですべてが好転していくだけの確実な未来がある。 ここで好転といったのは、社会が快適なノーマルに戻るということだけではなく、 接種者たちが病気になり、社会から脱落することで我々反ワクの相対的な価値が自動的に高まっていくことも含む。 だからあとは、晴れた日に丘の上でサンドイッチでも食べている気分で、待てばいい。
我々は懐疑派ではない。反ワクだ
さて、反ワクの勝利が確定した現在の状況において、接種者たちにとってもっと腹立たしいことは何だろうか。 それは、おれたちが大手を振るって反ワクを名乗ることだ。 なぜかというと、彼らにとって「反」は悪でなければいけなかったからだ。 反であるものが正しかったということは、彼らにとってあってはならないことであり、屈辱なのである。
だから、控えめに「ワクチン懐疑派」などと言わずに「反ワク」と名乗る方が、彼らにより大きいダメージを与えることが出来る。 形勢有利になった今、ゴキブリどもを完膚なきまでに叩き潰す。 みなさんも堂々と反ワクを名乗ってはどうだろうか?