毒チン騒動の終焉
今までおれがこのテストステ論で、ワクチンが危険だと訴え続けてきたのは、 この毒チンによる被害を少しでも食い止められたらと思っていたからだ。
おれは天才的なところがあり、 かなり早い段階からこれが毒チンであることも見抜いていたし、 今後どうなるかも読み切れていた。 書き続けてきたのは 神さまからもらったこの天才により、少しでも救える命があると考えたからだ。
今日が2022年1月31日なのだが、 ワクチンに対して世界の動向を見てみると、 ワクチンによる効果がないどころか 感染拡大に対して逆効果があることすらわかってきて、 あるいはワクチンに反対する大衆の抗議運動も功を奏し、 各国がワクチン義務化やワクチンパスポートなるジョークを撤回しつつある。 日本でも、ワクチンパスポートは感染防止の観点から実質的に無意味であることから実質的に廃止され、 ワクチンに関しても懐疑的な人間が増えてきたことで、3回目の接種率は上がっていない。
素晴らしいことだ。 そして同時に、おれのブログがワクチンの危険性を訴える必要はもうなくなったともいえる。
では、 新型コロナウイルス、あるいはこの遺伝子ワクチンには何の意味もなかったのだろうか? おれはそうとも思っていない。
麻布学園を偏差値50にする
理想的な世界という観点でおれが思っていることは、 麻布学園を偏差値50にしたいということだ。
おれは教育を麻布学園と京都大学で受けたが、 そこから社会に出て思ったことは、世の中の大半の人間は恐ろしく頭が悪いということだ。
おれが小学生の頃、おれは純粋なハートの持ち主であり、 目が細い女の子に対してどうして目を瞑ってるのかと問うてしまったそうだし、 計算速度が遅い子たちがわざと遅くやっていると 無垢な文句を垂れてしまっていたそうだから、 母親はこのままでは大変なことになると大変心配したそうだが、 残念ながら、人間の本質が変わることはなかった。
彼らはこの社会にとって必要だろうか? 100年も前の世界であれば必要だっただろう。 頭が悪くても、身体が健康ならば使いようはいくらでもあったからだ。 炭鉱で働くのに一番大切なのは、何よりも健康な身体だ。 昭和やそれ以前の仕事というのは、こういった類のものが多かった。
しかし今ではどうだろう? ソフトウェアエンジニアという職業をとってみよう。 ソフトウェアエンジニアの世界では、 バカには何もさせない方がよい。 バカが何かするとロクなものを作らず、必ず害を生む。 害を除去するためには作る以上のコストが必要となり、 当然、それに先行してビジネス上の被害を生む。 バカは脳みそが論理的に破綻してるからコードが書けないだけでなく 文章も書けない。 文章が書けないと現在のようにリモートワークの環境では 意思疎通が決定的に不可能になる。 そうしてバカは自分の仕事を属人化し、 チームあるいは会社に多大な被害を与える。 だから、バカには何もさせない方がいい。
今現在では、ここまで極端な仕事は決して多くない。 しかし、先に述べたような炭鉱のような仕事はもうなくなったし、 工場でのライン作業なども次々に機械に置き換えられているのが現状だ。 こうして、将来的には、健康なだけで出来る非知能的な仕事は機械に置き換えられていく。 逆にソフトウェアエンジニアのような知能的な仕事は増えていくと考えられる。
おれが理想とする 麻布学園が偏差値50の世界では、 全員が高度な知能を持つ。 その世界では、例えリモートであってもコミュニケーションは円滑になり、 すべてはストレスフリーになる。 犯罪も起こらない。嫉妬も憎悪も生まれない。 より高知能な人間も、虐げられることなく、自身の持つ才能を思う存分に 発揮出来る。 技術は恐ろしいスピードで進化していき、 それは社会に対して簡単に浸透する。 使い方がわからないバカに配慮する必要なんかないからだ。 量子コンピューティングだろうが何だろうが、一瞬で浸透する。
この世界こそが理想だ。
サステイナブルな世界
もう一つ、これは人類にとってもっとも重要なテーマの一つだが、 地球環境をはじめとする様々な問題により、人類はもうサステイナブルではない。
これに対する一つの解は、人口を削減することだ。 現在、日本の人口が1億2000万人ほどらしいが、江戸時代には3000万人しかいなかったという。 この300年の間に人口は一気に4倍、約1億人も増えたのだ。
おれは、日本の人口は江戸時代くらい、 つまり3000万人程度が適切なのではないかと思っている。 (他の定説としては、日本の適正人口は6000万人くらいだというものが多い) 東京には現在1300万人の人間が住んでいて、これは明らかに多すぎだと言われているが、 これが300万ほどになればどれだけ人が少なくなり、快適になるだろうか。
毒チンによる人類の選抜
以前はワクチンに対して激しく反対していたおれも、 こう考えることで次第に、つべこべ言わずに打つことが最善だと考えるようになってきた。
おれは、このワクチンについては おれの世界の住人であれば、 初手の段階で害があることに気づけたと思うし、 気づけなかった人間は致命的なバカであり、「おれの世界」にふさわしくないと考える。 そういった人間は、おれの世界からは排除しなければならない。
また、もう1つの理由としては、 すでに打ってしまった人間は自然免疫が破壊されているため、 保険システムの破綻など、社会にとって明確に害をもたらす。 従って、何がなんでも3回目を打たせ、早急に死んでいただくのが最善だと考える。
こうしてみると、 毒チンもそう悪くないことがわかる。 毒チンは、それを毒チンと見抜けないバカによって選ばれる。 そしてそれらバカは毒チンによって自然と滅びる。 現在、日本では64歳未満に限っても実に75%もの人間が2回の毒チン接種をしたという。
偶然だろうか? 彼らが全員死ねば、毒チンを毒チンと見抜ける人間だけが生き残り、 そして日本の人口は江戸に戻る。