の続きである。
私がなぜ死にたいほど辛いのか、その理由の一つはアドセンスBANがある。
当方京大卒だがグーグルアドセンスのBANをくらったので解説するわアドセンスBANというのは、グーグルのサービスを使っての収益化の道が一切閉ざされたことを意味する。 一度BANされると、死んで生まれ変わらない限りは、再取得することは出来ないため、 アドセンスBANというのはグーグル経済圏における死刑を意味する。
このことから、グーグルという企業が本当にこの世にとって善い存在なのか、 考えてみたい。
アドセンスBANをされて、自殺を考えている人は、 私だけではない。 “Adsense BAN suicide"などで検索すれば、このような訴えは いくらでも出てくる。
なぜだろうか。 理由は、このグーグル経済圏が大きくなりすぎたからである。 今、動画で収益をあげようとおもえば実質的にはユーチューブしか選択肢はない。
ユーチューバーのさゆっとふらまうんどは、ユーチューブでライブ配信が出来なくなったことから 視聴者に、ニコニコやふわっちでのライブ配信をしたらどうですかと聞かれたが、 ユーチューブでなければ収益が少なくてやる意味がないと答えている。
これは本当の話であり、アドセンスBANをされると、 その人生において動画で収益を上げる可能性を失っていることになる。
今、ネットで収益をあげようと思えば、もっとも割が良いのは動画収益である。 そして、ネットで収益をあげるというのは現代を生きる人間にとって自然な行為であり、 その方法を実質的に奪われてしまうというのは、死に近い。 今後グーグルが提供するあらゆる収益化システムから排除されてしまうと思えば なおのことである。 だから、自殺を考えるのだ。
今後、グーグルの力はより強大になっていく。 発展途上国の中には、国ごとグーグルに身売りをしてくる国も出てくるだろう。 国のインフラをすべてグーグルに任せてしまうことで、一気に先進国に追いつくことが出来るからだ。
グーグルの力がより強大になると、 アドセンスBANは当然、より強大な意味を持ってくる。 今後、アドセンスBANによって自殺を図る人は増えていき、社会問題になるだろうと 私は読んでいる。
アドセンスを巡った社会問題としてはすでに芽は出ている。
これは、今やアドセンスアカウントは、命を脅かしてまで奪う価値のあるものになりつつあると解釈出来る。
例えばだが、この事件の被害者が、同級生に監禁されて命を脅かされた上でアカウントを削除されず、 グーグルにアドセンスBANを脅かされていたかも知れないのだ。 命とアドセンスは、等価になりつつあるということである。
果たして、インターネットという公共のインフラを使いビジネスをしているだけの グーグルという一企業がそこまで強大な力を持つことが本当に正しいことなのだろうか? もちろん、独占禁止法という観点では議論されているし、この前話したCOPPAの件など、 グーグルに対する規制は強まっている。
Youtubeの新しい規制で、キッズ向けYoutuberは全滅するしかし、それでは足りないと考える。 何千億円罰金を与えようとあまり意味はない。
アドセンスBANをする権利を剥奪すべきだ。 過去に戻って、アドセンスBANを解除し、生きているすべての人間が、 インターネットという公共のインフラを使って収益を得る手段を共有すべきだ。 これはこの世に生きるものすべてのものに与えられるべき権利である。 インターネットを使った広告は平等なものでなければならない。
今後、グーグルが世界を支配するのであれば、 これは約束されなければならない。
グーグルの創始者ラリー・ページは子供の頃、 ニコラ・テスラの伝記を読んで涙を流したそうである。 その理由は、いくら良い技術を持っていても、 それをビジネス的に活かす視点がなければ幸せにはなれないことを知り、 感動したからだそうだ。 それから彼は検索エンジンを開発し、それをビジネスとして成功させた。 しかし今、こうしてグーグルが世界を支配しはじめ、 自分たちのさじ加減で人の命をコントロールしつつある世界は、 本当に彼が目指した世界だったのか。
そうでないと信じたい。