100mの9秒台はいつ出るのか?今まで何の努力もしたことがないゴミどもが、一流のアスリートたちにプレッシャーをかけ続ける光景はなかなか滑稽なものだ。優秀な遺伝子を持ちさらに努力をする人を、無能な遺伝子な上に努力もしない人が足を引っ張ろうとするのが日本という国家だ。この国にはトロールしかいねえ。
豊田真由子氏のような優秀な人間が政治家なんていうくだらない仕事をやってくれているのに、秘書に暴言吐いてたことをここまで取り上げて叩く意味はなんだろうか?それは日本のためになるのだろうか?豊田真由子は女子校のトップ校の桜蔭の出身だ。そこから東大文1に行き、厚生省に入り、国費留学でハーバードの修士課程に進学し修めた。こんなすごい人間が政治家なんてくだらない仕事をやってくれてるという事実に対するリスペクトが欠けてる気がする。秘書に暴行暴言を行う人間性でした。それが事実だとしてもおれは豊田真由子が素晴らしい人間には変わらないと思う。国民の愛人だがなぜかおれの愛人ではない橋本マナミ曰く「こんな人間性の人に年間何千万も税金が使われるのは許せない」とのことだが、たった数千万で国の為に働いてくれるなんて素晴らしいことだと思わないのだろうか。あと数年で死ぬであろう老人のために年間何千万も医療費が使われていることを考えれば、億単位でやってもいいくらいだ。大体、その数千万が全部懐に入るわけではないのに、そういう事実を全無視して国民感情を煽ろうとするのは確信犯である。かなりの美人だとは思うが、今までも思っていたのだが頭が悪いのかコメントが安い。しかし美人なので結婚してほしい。悔しい。
さて、おれは最近毎晩、ストレッチポールの上に乗り、肩甲骨をぐるぐる回したりして柔軟性を高めようとしている。肩甲骨の柔軟性が人間にとってとても重要なことだと思うようになったからだ。ストレッチポールを使うと、立っている時や床に寝転んでいる場合に比べて肩甲骨を大きく動かすことが出来るようになり、おそらく有利となる。
100mの桐生の可能性について高野が語っていた時、桐生はとても肩甲骨が柔らかいと言っていた。塚原も柔らかいらしい。彼はチーターは歩く時に肩甲骨がぐねぐね動くのだから、早く走りたければ肩甲骨が柔らかくなければいけないという超理論を唱えていたが、確かに肩甲骨をテープなどで固定してしまうと人間は早く走れなくなるものらしい。
100mという競技はシンプルだが故にそこで必要なことは人間にとって必要なものを示唆していると考えている。速く走れるということは人間として完璧に近いということであり、健康であり、脳も良く働くものということだ。例えば身体の対称性を一つとってもそうだろう。彼らの行っているトレーニングや生活習慣から我々一般人が学ぶことは多いはずだ。そこで今回は肩甲骨の柔軟性に注目している。肩甲骨のストレッチを始めてから、なんとなく健康な気がする。
調べてみると、肩甲骨はがしという刃牙で出てきそうな名前によって、肩甲骨の柔軟性はすでに注目されていることがわかった。しかし、100mで重要 -> 人間にとって重要のロジックで肩甲骨に注目している人間はおれだけだろう。そこで、肩甲骨の柔軟性が重要なのは周知の事実であるがこういう考え方でも辿り着くことが出来るということでこの記事を書くことにした。
ちなみにこの記事は、尊敬するフミコフミオ氏の文体を真似てみた。どうだろうか?