さきほど英検一級の二次試験を受けてきた。 会場は神田外語学院というところで、午後の分だった。
試験は、最悪だった。 二次は4つの項目が10点満点で評価され、だいたい28点くらいとると合格するようだが、 おそらく10点台だろうと思われる。全く話にならないレベルだ。 得点を公開する予定もないし、ネット速報も見ない予定だ。 届いた通知をちらっとだけ見て、そのままシュレッダーに突っ込もうと思う。
二次では、トピックカードに5つのトピックが書いてあり、 その選択とスピーチの準備に1分が与えられる。 その後、2分のスピーチをし、いくつかの質疑応答に答える。 通常、スピーチは自分のポジション(賛成・反対)を決め、それに対するサポートを 最低では2つは挙げるべきと言われている。
おれは5つの中から1つ、見た目からそれなりに言えそうだと思ったものをピックしてから スピーチを考えたが、なんとサポートが1つしか浮かんでこない。 スピーチを始めればなにか浮かんでくるだろうと思ってスピーチを始めたが やはり浮かんでくるわけがなく、結局最後は長い沈黙の末にスピーチを打ち切られた。 その後の質疑も、気が落ちていたのか、論理的におかしいことを言っていた。 だから、おそらく全受験者の中で最低レベルの点数がつくと予想している。
もともと、一回で合格出来る確率は高くはないとは思っていた。 前日にユーチューブのポストには合格率は20%くらいと書いていた。 良いトピックを引き、その中でハネないと合格はないだろうなという見込みだったのだ。 そして実際には良いトピックは引けず、そのせいもあってグダグダなスピーチとなった。
不合格なのは構わない。 しかし、自分のあまりの無能さに失望してしまった。 おれはこんな馬鹿だっただろうか? 落ちるにしても、ふつうは何か収穫を得て次に繋げるものだろう。
まともな人間ならば、切り替えて次回の試験のことを考え始めるのだろう。 しかし、おれは今のところそんな気になれない。 こんな無能な自分に投資する価値があるだろうか? いっそ、何もかも捨てて、自宅の寝室で布団にくるまって、 そのまま死ぬのを震えて待つのがお似合いではなかろうか。 このまま負け犬でも構わないと諦めている自分がいる。
もし、次回の合格を狙うのであれば、やることは明確だ。
一級の二次試験は2つの要素に分解出来る。 1つはスピーチのネタを思いつくことで、もう1つは純粋な英語力だ。 だからこれらを独立に伸ばせば、合格に近づくことは間違いない。
今回の試験対策では、 英検の先も見据えた範囲の勉強をしている。 英検一級をとったあとには裏ボスの国連英検などもあるし、 結局のところ英検一級にとって最小限の勉強をしても、あとが続かなくなるからだ。 ただ今回は、きちんと身につかせるたには時間が足りなかった。 一回読めば運用出来るレベルで頭に入るだろうと思っていたが、 残念ながら期待していたほどには頭が良くなかった。
スピーチのネタを思いつくためには、 今回一通りはやったこれらの本を復習し、やり込めばいいだろう。 一級の二次は、ガチのディスカッションではなく、ありふれたテーマについて ありふれた意見をちゃんとした英語で述べる能力を見ているだけだ。 だから、本を使って研究し、ネタが早く思いつくように訓練すればよい。 社会問題には相互的関連があるため、その関連をマインドマップのような形でまとめるなど、 視覚的に整理することがネタを早く出せるようになるためには有効だろう。 時間があったらやってみたかったことは他にもある。
英語力については、スピークをいうAIアプリを使って、面接の練習を繰り返すことがまず1つ。 スピークが優れている点は、話した内容についてよりよい文章をフィードバックしてくれる点だ。 これによって、教師がいなくても、自分の英語の悪癖を矯正していくことが出来る。
しかしこれだけでは、今の英語力の中でうまく運用する能力を高めることにしか繋がらない。 だから、英単語を増やすことは当然として、ネイティブらしい文法のコツについてもより理解を 深めたい。そうして得た正統な英語を使えるようになることを目的とする方が、スピーチの訓練自体にも身が入るだろう。 もともと英検一級を取りに行く理由は 英検一級が欲しいからではなく、 本格的に英語を勉強するきっかけがほしいからなので、 本格的に取り組むことは方針が一貫している。
今回落ちたことはともかく、 何も出来なかったことにひどく失望していて、 次受けるかどうかについてすぐに答えを出すことは出来そうにないが、 英語力を高めるということはいずれにしろ大事だと思うので、 そっち方面の勉強については明日から再開するつもりだ。
英検に落ちた場合はルシファーの不合格祝勝会はやらないと 言っていたので、118回国試のルシファーの不合格祝勝会についてはキャンセルとなる。 知的障害者に生まれてしまい、申し訳ない。