おれは他人から頭が良いと言われることがある。 小学校では天才と呼ばれてた。 では、自分ではどう感じているかというと、 「凡人よりははるかにいいが、その程度」 という感覚だ。 これは、小学校の頃からそう思っている。
森林原人というAV男優がいる。 彼は現在41歳で、おれより5年上なのだが、 中学受験をし、麻布・栄光・筑駒に合格し、筑駒に進学した。 (本人は自由な校風の麻布に行きたかったが、経済的な理由で国立に行ったらしい) 進学後、他の学生に勉強では勝てないことを悟り、エロを極めることに徹し、 AV男優になった。
矢作芳人という優秀な競馬調教師がいる。 彼も中学受験をし、開成中学に進学後、勉学では勝てないことに挫折。 高校卒業後は進学せず、競馬の道へ進んだ。 今年、牡馬三冠を制したコントレイルは彼の管理馬である。 彼は開成卒の頭脳を活かし、コンピュータを使って馬を管理し、デビュー当時から成果を出していた。
おれの母校の麻布高校の卒業生にも、 進学後に、勉強では勝てないことを悟って面白い人生に進んだ人がいる。
彼らはどういうわけか、進学するまで自分より上がいることに気づけなかったらしいが、 小学生の頃からそんなことは知っていた。
中学受験をすると、多くの人は、トップレベルではなくなる。 おれもそうだった。
まずそもそも塾の中で一番になれない。 おれは算数と理科で押すタイプで、麻布の入試でも45, 30くらいを 得点して合格する配分だということを前に話した。 これは標準的な中学受験生から見ると、かなり難しいことなのだが、 当然上には上がいる。
麻布中学に合格する子はどういう子なのか。私の当時の得点戦略を振り返るパターン1。そもそも算数で勝てないパターン。 塾には算数特化タイプのやつで、麻布の算数で50点ラインを軽々超えてくるやつがいた。 どの科目でもそうだが、満点に近づくほど1点を上げることが難しくなってくる。 ここで5点違うというのは実力的に大差なのだ。
パターン2。算数と理科は同じくらいでも全教科では絶対に勝てないパターン。 仮に、算数と理科で並んでも、相手は国語も社会も卒なく高得点をとるため、 絶対に勝てない。 総合点でいうと、おれより上のやつはゴロゴロいて、 女子にも女傑みたいなのがいて、こういうのには勝てるわけがなかった。 通常テストの総合点でいえば、塾内で10番に入るのは厳しく、20番程度だったと思う。 それでも、麻布も栄光にも合格出来てしまうようなハイレベルな塾だった。
パターン3「絶対神」。 おれの世代には、四谷大塚の成績表で常に1位のやつがいて、 実名は伏せるがKくんといい、チャレンジ算数のコンテストでも常に満点1位、 算数オリンピックでもメダリスト、開成に進学後は数学オリンピックでもメダリスト、 東大で数学の博士号をとって、今はどっかの学校の教員(天才採用枠)をしているらしい。 おれが絶対に勝てないと思う塾内の天才すら絶対に勝てないんだから、 もう想像が意味をなさない。もはや「神」と一語で片付けるしかない。
このレベルというのは、努力でどうにかなるものではない。 そもそも性能が違う。頭の回転や、記憶力が違うのだ。 遺伝子が違うと言ったらわかりよいか。
こういった桁違いの性能を持つ人間の存在を知れることが、 中学受験をするメリットの一つだと思っている。
自分より上がいて勉強では絶対に勝てないという情報を得ることは、 単純に得である。それによって真に挫折するのであれば、ものの考え方が悪いんだろう。
おれはこう考えている。
おれはベンチプレスで130キロを挙げたことがある。 この時、一種の快感のようなものが脳の中を走ったことを完全に覚えているわけであるが、 上でおれが勝てないと言った誰しもが、ベンチプレス130キロを挙げることは出来ない。 貧弱だからである。 従って、おれが得た快感を、彼らは得ることが出来ない。
おそらくだが、ソフトウェア開発者としてはおれの方が実績があり、 彼らとてここから挽回するのは相当難しいだろう。
その他にも、おれの方が優れていると思える箇所はたくさんある。
おれは中学受験に対して非常に肯定的だ。 中学受験は知能の優劣を測るには、非常に優れた競争であり、 日本の競争力の源泉と行っても過言ではない。 現役の大学教授などでも経歴を調べてみると実は中学受験の難関校の出身だったりすることが少なくない。 勉強が出来る能力というのはそもそもが、 すべての活動における基礎となっている。 創造の前には入念な調査が必要で、勉強をする能力というのはここで常に活かされる。
しかし、中学受験で争っているのは、所詮、 勉強が出来る能力だけである。 本に書いてあることを効率的に理解し、たかだか10分や20分で解くように 恣意的に設計された問題(笑)を高速に解く能力を測っているにすぎない。 その土台をどう活かすか、それによってどう人生を楽しむかは また別の問題であり、人間は、長い人生を生きるにあたってそれがどうしても必要であると思う。
中学受験をし、自分より頭脳的に優れた人間がいるということに早期に気づけることは、 自分なりに優れているところを見つけるよいきっかけになる。 とりわけ、難関校に合格出来る子供は、頭脳は十分に優れているのだから、 それをどう活かすかには無限の選択肢がある。
森林原人は、 他の学生に勉強で勝つことは不可能なので、 学内における生存戦略としてエロを極める道を選んだ。 麻布もそうなのだが、勉強だけでなく、何か得意なことがあるやつは それだけで尊敬される傾向がある。
矢作調教師もやはり、挫折したというのは「開成に行って挫折した」 と言った方が世間に受け入れられやすいからそう言ってるだけであって、 実際は「では自分には何が出来るだろうか」を深く考えるきっかけを得て、 競馬の道に進んだのであろう。
このように、 彼はこの点では勝ってるけど、自分はこの点で勝ってるから良いと思えるようになれば、 偏差値競争からフリーになることが出来る。 努力や環境ではなく、遺伝子のレベルで全く違う人間を早期にみれば、 さっさと諦めがついて、「おれはおれ、あいつはあいつ」という考えに早く至ることが出来る。 これは決して、勉強から逃げろと言ってるわけではなく、 そのようなものの考え方自体が重要であると言ってる。
これは間違いなく、中学受験をする理由の一つになると思う。 事実、Kくんには会ったこともないのだが、不思議と感謝の気持ちがある。