【25年目の麻布中学合格体験記】算数クラブ

中学受験生にとって、小学校の授業は退屈でしかない。知ってる知ってない以前の問題に、内容が簡単すぎて出る意味がない。5年生の時の担任は比較的、中学受験に対して理解のある人で、退屈だと言ったら、6年生のテストを渡してくれた。しかしこれも、書いてある記号の意味はわからなかったが、類推して解いてしまった。何もかもが退屈だった。

退屈な私は図書館に逃げ込んでいることがあった。そこにある伝記はすべて読んだ。ファーブルとかエジソンとか福沢諭吉とかキュリー夫人とか典型的なものだが、伝記は面白かった。パーフェクトヒューマンの人が、グーグルのラリー・ページがニコラ・テスラの伝記を読んで涙を流した話をしていたが、私はそこまでではなく、ふーんすげえなぁくらいだった。小学生にとって、伝記を読み、偉人から刺激を受けるということは大変意味のあることだと思う。

あとは、漫画を書いてたりはした。陸上クラブだったりミニ四駆クラブだったりもしたが、私はクラスの中で新聞クラブでもあった。ここには自作の漫画を書いて、掲示板に貼っていた。そういえば、カナダに旅行に行った時も、退屈な時は持っていったノートに4コマ漫画を書いていた。あれは確実に面白くなかったと思う。他には、放送部もやっていた。お昼になると、音楽を流したりするやつだ。しかしこれは自主的にやったというよりは、持ち回りかなんかで何かをやらなきゃいけなくて、一番楽なやつを選んでいたということだったと思う。とにかく、やりたいことは全部やる、それが出来ないなら能力不足でゴミ!!というのが今も昔もポリシーなので、何もかもやっていた。

一番おもしろかったのは、算数クラブで、これも自分で作ったのだが、クラスの算数力の底上げを目的として、算数クラブのメンバーが問題を作って、それをクラスメイトに解かせるというものだ。記憶が曖昧だが、掲示板に貼っておいて挑戦を求むという形式ではなく、確かに何分か時間を使ってテスト形式的に実際に解かせていたような気がする。たぶん担任の理解があったのだろう。この算数クラブの相方はのちに確か東工大かどこかに行って数学を専攻していた(あるいは「る」)はずである。彼は、真に算数を楽しんでいたかも知れない。親が数学の教師だとかで丘の上の住人だから、さぞかし良い教育を受けていたのだろう。一方で私にとって算数は能力を誇示するための道具でしかなく、楽しいと思ってやってはいなかった。それは大学受験の時の数学もそうだったが、最近になって競技プログラミングをやりはじめて、数学は楽しいとやっと思えるようになったのは幸運なことだ。まぁ当時も円周率だけは興味があって、学校の本棚になった算数の本に載ってた円周率50桁を覚えたり、自分の知ってるピタゴラスの定理だけを使って円周率をなんとか求めることは出来ないかと試行錯誤していた。

授業中は、この算数クラブの問題を考えたり、新聞を書いたり、好き勝手していた。嫌がらせ目的で当てられるということもなかったように思う。そういう意味では自由だった。しかし、すべての中学受験生が特別扱いされるとも限らないので、そうでない人というのは、どうやって退屈地獄を生き抜いたのだろうか。馬鹿を演じるのも疲れるだろうに。謎だ。

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