中学受験の塾の講座費用が30万かかりましたというツイートがバズっていて、 なんだ金持ち限定の競争かとか、そんなことにお金を使うなんてなんたらとか、 中学受験の外野がまた騒いでいて気持ち悪いから、疲れてて眠いけど筆をとることに決めました。
おれは、中学受験に非常に肯定的だ。 というのも、公立の教育はレベルが非常に低く、頭脳の出来がよいおれのような人間にとっては 何の価値もないどころか苦痛でしかないからだ。 こういった高知能層にとって、中学受験というのは一種の救いとなっている。 彼らにとっては、受験をしているという意識はなく、勉強をしているという意識もなく、 ただ塾が楽しくて、競争するのが楽しくて、気づいたら勝手に御三家に手が届いてしまったというだけのものなのだ。 おれの周りにいたやつは大体そうだった。 おれの場合は、何の準備もせずになんとなく塾に入ってしまったので、 入塾当初は知識を入れるのにすごく勉強したという思いがあるが、それ以降は気づいたら麻布中学に合格していた。 むしろ、小児喘息の方が辛かったくらいだ。 才能があれば、中学受験は楽しいものだ。
外野のみなさんに、中学受験とはどういうものか説明しよう。
まずは費用。中学受験には大体3年間で300万円の費用がかかる。 これはおれが中学受験をした25年前からこんなもんだ。 塾によって多少の差はあるし、講座をとるとらないの選択をすれば多少は変わってくるだろうが、 どこも300万というのが相場のようだ。 だから、6年の冬で一気に30万請求というのは、ふつうだと思う。費用は学年が上がることに上がっていく。
次に母集団。 中学受験はよく、上位16%の戦いと言われる。これはつまり、母集団のレベルがそもそも高いということである。 これは考えてみれば当たり前で、まず、一人の子供に300万円出せる時点で親がある程度良い仕事についているということだろうし、 当然、早慶あるいは東大といったレベルの高い 大学を出ていることも多いだろう。親自身が中学受験の難関校出身ということも珍しくない。 そもそも遺伝的にも恵まれている子が、みっちり教育された上で競争に参加する。 生まれた瞬間から御三家を目指してる家庭も中にはあるし、小1から準備している子も別に珍しくはない。 中学受験はまるで三歳クラシック競馬みたいなもんだ。
こうして、母集団は煮詰められていく。 まず運良くこの母集団に入ることが第一関門である。
しかし本当の戦いはここから。 第二関門は、その母集団の中で偏差値60の壁を超えることである。 SAPIXでも日能研でも四谷大塚でも、偏差値60以上の子供(SAPIXとその他は母集団が違うため、5程度は偏差値に差があるが、以下の議論には影響ない) だけが塾にとって本当の戦力であり、それ以下は実質お客さんなのだ。 当然、教科書も偏差値60以上の子がある程度満足出来るように作られていて、 それでも足りない子供向けにはさらに難しいテキストや講座が用意されていたりする。 余談だが、今では、アルファというとSAPIXの上位クラスのことを指すが、 おれの時は四谷大塚に「アルファ」という算数の問題集があり、そういうちょっと難しい問題を解くのを楽しんでいたものだ。 今でもあるんだろうか。
さて、塾の教育システムが偏差値60の子をターゲットにしている以上、それ以下の子供にとっては中学受験はまさに地獄となる。 例えば、SAPIXで60というと一日目は御三家を受ける層になると思うが、SAPIXはこういったアルファの子供にとっては良い環境だが、 それ以下の子供にとってはただ大量の宿題に忙殺されて発狂するだけの地獄だと言われる。 母集団が違えど、日能研でも四谷大塚でも事情は同じだ。偏差値60以上の子は楽しんでいるが、 それ以下の55とかそれこそ50とかいう頭の悪い子供たちは、惨めなだけだ。 「中学受験偏差値50は高校受験の偏差値60」だよなんていう謎の励まし文句が生まれる理由はまさにこういった事情にある。 そうでも言ってやらないと死んでしまうんだろう。
だから、外野が言っている「子供にそんな勉強をさせて何になるんだ」「公立にいって東大を目指せばいいだろ」 みたいなのは、部分的には正しい。塾の戦力になれなかった子にとっては確かに苦痛だし、中学受験なんかしなきゃよかった となるケースだってあるだろうけど、それ以上の子にとっては「あー楽しかった」で終わるものなのだ。 だからこうやっておれはいつまでも中学受験について楽しい思い出を語っていられるわけである。
しかし、 小学生の時期に必死に勉強するということ自体は、どのレベルの子にとっても 人生を豊かにする上で大変意味のあることだ。 実際、大人になってもまともな論理的思考力もないし、自分の考えを正しく伝えることも出来ない人間というのは大変多い というかそれが大半なわけであるが、中学受験ではそういう本質的な能力を磨くことが出来る。 生きるために必要な力を身につける。これが中学受験の真の目的であり、進学先というのは所詮結果でしかない。
中学受験の入試問題では、 知識を詰め込むだけと思われがちな理科にしても社会にしてもただの知識問題が出ることはあまりなく、問題文に書いてあることを理解し、持ってる知識を背景にして「なぜ」が問われるものが多い。 国語では、長文を短時間で読み、論理的に答えを導き、自分の考えを正しく伝えるという力が試される。中学受験の国語をやると、早く正確に読む力が飛躍的に高まる。 当然だけど、算数では公式に当てはめてハイ終わりなんていう問題は出ず、深い思考力が要求される。こういった思考力はプログラミングの素地ともなるから、 日本で有名なプログラマは大体、難関中学出身者だ。
決して、ただの詰め込みではないのだ。ある程度の知識の蓄積は当然必要だが、その上で、思考すること、記述することが求められる。 中学受験生は、こういった、ほとんどの大人が出来ないようなことを小学生のうちからやっている。 結果として、第一志望の中学に行けるのはたったの3割しかいないから7割は泣くことになるけど、 中学受験の中で培われた能力はその後の人生をずっと下支えしてくれる。
その戦いに参加すらせずに、なんやかんやいうなんていうのはとても恥ずかしいことだ。 ぜひ、自分の子供をレースに参加させてあげてほしい。中学受験はとてもいいものだ。