今でこそこうやってブログをさらさらと書いて、多くの人に読んでもらうようになったが、私の小学生の頃の国語力は最悪だった。上位校に合格する子の中には算数が得意で国語が苦手というのは多かったが、その中でもダントツに苦手だった。麻布の国語は、60点中10点しかとれないこともあった。20点で回ってくると、上出来という感じだ。
当時から別に文章を書くのが苦手というわけではなかったが、国語の問題となると苦しかった。しかし大学受験では、現代文も9割とれるほど得意になっていた。なぜかというと、そもそも国語の問題に答えるということがどういうことなのか理解していなかったからだ。
麻布の国語では「主人公の気持ちを答えよ」「筆者の気持ちを答えよ」という問題が多く出題されるが、これは「あなたが主人公になりきったつもりで感情移入して、その時の気持ちを答えよ」という問題ではない。そうではなく、今までに書いてある根拠から常識の範囲で考えよという問題である。これがわかっていなかった。
というか、実際問題としては、小学生にとってこのルールを理解するのはとても難しく、結局、その子自体が狂ってるか狂ってないかで出来が決まってしまう。主人公になりきったつもりで感情移入して、結果としてその子がふつうの子ならば、それっぽい答えを書く。一方で私のように狂ってると、斬新な答えを書いてしまう。
こうしてめでたく私にとって国語は鬼門となり、国語が10点レベルでこけたら合格は危ういという状況であった。どうにかせねばならない。
私と母親は、電車に乗って西日暮里にきた。開成中学がある街だというのはその時知った。植物園があるのは良かったが、なんか暗い街だと思い、好きにはなれなかった。しかし目的は開成中学ではなく、桐京学園という進学塾で国語の特別講座を受けることだった。当時、中学受験の最強塾は、TAPというところと、この桐京学園だった、と少なくとも私は認識していた。そこで、この最強塾に赴いて、国語の特別講座を受けることにした。そして、確か、そこの講師と面談もしたような気がするが、通信講座の国語読解力強化コースを受けることとなった。
その国語コースはとても変わっていて、一ヶ月だか隔週だか忘れたが、与えられた一冊の本を読む。オズの魔法使いとか銀河鉄道の夜とか、そういう感じの子供が読める本だったと思う。変わっている点は、問題が、本全体を対象にして出されることだ。ふつうの国語の問題はせいぜい数千字くらいの文章を読んで問題に答えていくものだが、それに比べると、超長文読解と呼ぶべきものだった。この特訓を、塾と並行して行った。
その結果、私の国語力はどうなったかというと、理由を聞かれている時に「〜だから」「〜ので」で答えるという作法が理解出来るレベルにまでは成長した。しかしこれも実際問題として、難しいことなのだ。大人でも、理由を聞かれているのに尻切れトンボの受け答えをする人がいるし、YESかNOを聞かれてるのにYESかNOで答えない人もいるだろう。質問の「型」を意識するというのはふつうの大人にとっては常識だが、小学生にとっては必ずしも簡単なことではない。
この作法を知ったあと、私は、国語の問題に対してまずは答えの後ろを決めて、それから前を考えるという小賢しいテクニックを使うようになった。しかしそれが限界だった。そんな小手先でどうにかなるレベルではないため、結局、最後の最後まで麻布の国語だけは良いとこ20点だったのだ。本番では運良く40点くらいとれてしまったが。