おれが中学受験について語っていると、いつまでそんなものに囚われているんだ? という人がいるが、おれは何も中学受験に囚われているわけではない。
おれは他にも大量のタスクをこなしながら片手間でこうやってブログを書いたりラジオを作ったりしている。 中学受験はおれの生活の中のほんの一部に過ぎず、囚われているというほどではない。 おれがakiradeveloperとしてコードや記事を書き、GodAimAkiraとしてラジオやゲームをしていることを 不思議に思っている人がいるらしい(GodAimAkiraがakiradeveloperだと知って驚く人も多い) のだが、おれはフルタイムで働きながら毎日コツコツと、しかし超ハイスピードで 趣味を満喫しているに過ぎない。中学受験ネタもたかだかそのうちの一つだ。 大魔王のメラがメラゾーマに見えるのと似ている。 頭の作りが違うといえばそのとおりかも知れない。
そもそもだが、子供の頃にサッカーをしていた人が、大人になって腹が出て10メートル走ったら息切れするようになったとしても サッカーのファンであることは許されるのに、中学受験についてはこれが成り立たないというのは あまりに不公平な話だ。 中学受験というのは、知能トップ層の子供にとっては強制されるようなものではなく、 面白い問題を解いたり、知識に触れるのが楽しいただのゲームであり、 塾というのは似たような高知能の子と触れ合うことの出来る遊び場でしかない。 おれが中学受験をしたのは1997年、それから24年経った今でもおれは中学受験が趣味だ。 当時は、難しい問題を解くことにしか興味がないので、塾から家庭学習用にもらった毎日の算数みたいな典型問題集は 全部捨てた。
麻布中学の問題は毎年話題になる。 例に漏れず今年も大いに盛り上がったようだ。 おれは、麻布中学のファンなので、自分が好きな麻布中学がこうやって話題になり、 持ち上げられるのはとても嬉しい。それをOBとして眺めることが出来ることが、幸せの一つだ。
麻布中学の理社は、知ってる知ってないのレベルで問われる問題は少ないというのはそのとおりだと思うが、 問題は決して奇抜ではなく、よく勉強した小学生のもつ色々な知識を基にして論理的にたどっていけば なんらかの解答にはたどり着けるようになっている。 そのことを直接知っている必要はない。 「なぜですか?」という問いに対しては、常日頃「なぜだろうか?」と考える習慣があれば、 いつもやっていることを試験でもやるだけだ。 おれは、超なぜなぜマンで、麻布の同級生から「お前はなぜなぜうるさい!」と怒られたことがあるのだが、 これはおれの中での誇りの一つだ。
2月1日の中学受験が始まる少し前から 麻布中学に合格する子はどういう子なのか。私の当時の得点戦略を振り返る がよく見られているわけだが、どの科目を何点とるかという以前の問題として、 不思議の泉を持っていない子供にとっては、受験自体が厳しいものになると思うし、 たぶん学校生活も楽しいものにはならないだろうと思う。 2月1日の試験時間中に検索がハネたのは きっと受験生のママが不安になって必死でグーグル検索をかけたものだと思うが、 2月5日の今日になっても検索が落ちてこないのは、不合格者が成仏しきれていない証拠だろう。 その記事を書いたおれが言うのもなんだが、「麻布に向いてるのは我が子だ」と信じてあげられなくて、 永遠にテンプレに当てはめようとするのは親としてどうなんだろうかと思う。 間違いなくそれが、落ちた理由だ。出来るだけ早く成仏してほしい。
さて、仮になんらかの解答を思いついたとして、 得点する上で大事なことは、その解答を論理的に記述することだ。 問題として出題されている以上、なんらかの解答例は学校側としても用意されていると思うが、 それが筋道を立てて説明されていなければ減点されてしまう。麻布中学の試験というのはそういう試験だ。 逆に、解答例とは結論が違っていても、筋としては通っていれば点がつくと言われている。 実際、校風的に考えてもそうだろうとは思う。 京大も似たようなところがあるのだが、筋が通っているかどうかがもっとも重要であり、 筋が通っていればそれがどんなことであれ、一定の理解は示される文化がある。 そこに先入観は存在しない。例えば有名な話として、運動会中止を公約として掲げた立候補が 実行委員に選ばれてしまったこともあった。
もしこれが国家試験であれば解答は一つしか許されないだろうが、 麻布中学の試験はあくまでも選抜試験なので、基準は学校側で勝手に決めていい。 極端にいえば、身長順で合格者を決めてもいいのだ。 もっとも、そんなことをすれば、徐々に人気を失っていくと思うが。 逆にいうと、定まった解答があるかないかも議論になるような問題を出しても人気を保ち続けることが出来る。 これが麻布中学入試の最大の魅力であり、作問側にとってもきっと魅力的な仕事であろうと思う。 勉強量が報われないということで、ガリ勉養成所には嫌われているらしいが。
今、筋道の通った文章を書くとさらっと言ったが、これは決して簡単なことではない。 実際、大人でも、支離滅裂な伝わらない文章を書く人間は多い。 しかし一方で中学受験でレベルの高い中学に進学した人間には、そういった文章を書く人間は見たことがない。 中学受験では、麻布のように記述中心の学校を受けずとも、 論理的に記述する能力が身につかなければ どのみち通常のテストも解けるようにはならないからだ。 中学受験では、もっとも重要な教科は国語だと言われる。文章が正しく読み書き出来なければ、 他の科目も伸びることはないからだ。 この部分を4教科の中で徹底的に磨き上げることは一生の宝になるだろう。
中学受験を高みから趣味として眺めていると、 中学受験というのはドラゴンボールで出てきたカリンの塔のようなものだなとふと思うことがある。 あれも結局、塔に登ったあとに飲んだ超神水というのはただの水であることが明かされ、 ボロボロになりながらカリンの塔に上ること自体に修業の意味があったという話であった。 中学受験というのも、結局こんなものだといえる。全落ちは洒落にならないけど、 必死に勉強したことが大事なのであって、仮に御三家に落ちてしまったとしても、 必死に勉強して身についた力だけは残る。
中学受験は第一志望に行ける子供がそもそも1/3しかいない。 御三家に入れるのは中学受験層の中でたった2%。 したがってほとんどの家庭が、当初望んでた成果は得られなかったことになる。 しかし、本当に大事なものは十分に得ているのだ。
2021年中学受験お疲れ様でした。