の続きを書く。
おれが中学受験をした時、首都圏の中学受験生は 生徒数に対して13%しかいなかった。
しかしそれが今では20%もいるということだ。 これが偏差値の価値を希釈する上でどれほどのインパクトがあるものだろうか? 少し考察したい。
基本的に、子供に中学受験をさせる動機というのは、
- お金持ちが、自分の子供によりよい教育を受けさせたい
- 子供が優秀なので、中学受験をさせたい
だったわけだが、 前者についても 結局のところ親が馬鹿なのに金持ちになる確率は低いから、 大抵は子供も遺伝的に優秀な場合が多い。 つまり、中学受験をする層というのは、 1かつ2がもっとも多く、1単体や2単体は実はそれほど多くない。
このようなハイレベルな集団で行われるのが中学受験だった。 だから、偏差値に価値があった。
出生する子供の遺伝的知能分布は年によって変わらないとすると、 受験生が増えることはつまり、 1997年であれば受験していたかったような 馬鹿がコンタミしていることになり、 偏差値の希釈が起こることになる。 その希釈度合いについて、感覚的に議論し、 今の麻布は過去の浅野程度の難易度でしかないと結論づけたのが 以前の記事となる。
今回の記事ではもう少し進んで、 もともと13%しかしてなかった時代から 7%も馬鹿が入ることが偏差値にどれほど影響するか 数理的に考察しよう。
偏差値というのは、得点が平均からどれほど離れているかの計算であり、 このどれほど離れているかには、集団がどれほどまばらかが考慮される。 これを分散という。 この分散から、標準偏差が計算され、これが偏差値の計算に用いられる。
これは譲歩した仮定となるが、 仮に、新しく参入した7%がすべて、1997年における偏差値50 に収まったとしよう。 この場合彼らは平均は変えず、分散計算における分母水増しだけに貢献する。 するとこれらの新参は分散を13/20にする。 つまり、標準偏差を0.8程度に圧縮する。 これは、偏差値の価値が0.8倍になることを意味する。
これによると例えば、1997年における偏差値60というのは、 2022年における偏差値62.5になることになる。 希釈の影響は高偏差値になるほど大きくなり、 開成を例にとると、1997年では69だったものが 73.5になることになり、2022年で72になっていることがほぼ説明出来る。 この1.5の差は、渋幕や聖光に行く生徒が現れたため、 開成自体が簡単になっているということだろう。
さらにいうと、 この計算はかなり譲歩した仮定に基づいているから、 実際には偏差値はより希釈されている。 例えば実際には0.75倍だったとすると、 開成の偏差値は1997年では69だったものが 2022年では75ということになる。
おれの肌感覚では、 高偏差値帯で偏差値は5ほど希釈されているから、 大体ここがいい線なのではないかと思われる。
つまり、2022年における麻布68は1997年でいうところの63程度の価値しかなく、 それはつまり浅野なのだ。
結論として、 現代の中学受験は(遺伝的には)やはりぬるいことが示された。 しかし一方で、中学受験の問題が年々難化してることは事実である。 遺伝的知能はどんどん劣化しているのに、 問題だけは難化していく。
これっておかしいことだとは思わないだろうか。 一体中学受験は何をしているのだろうか。 サピックスが日本を破壊する。