ケアレスミスは、私の代名詞だった。とにかくミスをした。問題や字そのものを見間違えたり、答案に書いた文字がこの世に存在しない文字であったこともあった。正答率80%のような簡単な問題を間違えて、正答率10%のような高難易度の問題を解くというあべこべなことがよく起こった。それは大学受験の時もよく起こったし、今でもよくやってしまう。
なぜケアレスミスが起こるかと考えると、それは頭が疲れてるとか、緊張してるからとかそういう話ではなく、その問題を解くこと自体に興味がないのがそもそもの原因だと思っている。問題を読んで、試行錯誤して、頭の中で道筋が出来上がると、それを実際に計算することには興味を失ってしまう。
なぜ、わざわざ計算をしたいかというと、自分の立てた道筋が本当に正しいか検証したいからなのだが、最後まで読み切ってしまっていると、興味が失せてしまう。だから、ほどほどに難しい問題でないと、やる気が起きない。これは今も昔も変わらない。
正答して点数をもらうことを報酬と出来る人は、試験には向いてると思う。私は、自分がリスペクトしてるわけでもない人間がつけた5点や10点という数字を得ることには何の価値も感じられない。むしろ、そんな数字に喜べる人は、頭がどうかしてると思う。
これは、自分は未解決問題にしか興味がないとかっこいいことを言ってるわけでも、誰でも出来る計算は自分の仕事ではないと言ってるわけでもない。試験の問題というのは、未解決でも何でもなく、正しい道筋があり、答えがある。人類の視点から見ると解くこと自体が無意味なものである。が、それが自分にとってワクワクするのであれば、解くのは楽しいし意味がある。私が言ってるのは、ワクワクすらしない問題の話についてである。そういう問題に出くわすと、一体自分はなぜ、見知らぬクソ野郎に強制されてこんなつまらない問題のくだらない答えをせこせことミスに怯えながら導出しなければいけないのだろうと疑問、場合によっては怒り、を覚えてしまい、その時点で萎えてしまう。
従って、ケアレスミスは性格の問題であり、いくら簡単な問題を繰り返し解く訓練をしてケアレスミスを減らそうとしても、意味はないと思う。
実際に、私は麻布中学の入試本番で、第一問目から計算ミスをして失点した。ただの計算問題であったように記憶している。計算ドリルを猛烈な速度で解く私は別に計算は苦手ではなく、むしろ得意な方だ。しかし、問題があまりに簡単すぎると興醒めしてしまう。たとえ第一志望の本番であっても。だから、ケアレスミスは性格の問題だと思うのだ。