中学受験は変わってしまった
おれが中学受験をしたのは1997年のことだから、もう25年前のことだ。 良い思い出だ。懐かしい。
おれが再度中学受験に興味を持ち始めたのはほんの数年前のことだが、 中学受験はあの頃とはずいぶんと変わってしまった。 今日はそのことについて少し書いてみよう。
1998年の四谷偏差値表
Twitterを見ていたら、1998年の四谷大塚の偏差値表をツイートしている人がいた。 1998年というと、おれが受験した年の翌年だから、おれが受験した年のものと大きく乖離はない。
男子
女子
何が変わったか
何が変わったか。
今の偏差値表と比べて気づく点を並べてみる。
- 学校が少ない。見比べてみれば、密度の差がわかると思う
- 闇の午後入試がない!!!
- ラ・サールの偏差値が高い(66)。しかも首都圏入試の後にある。AV男優の森林原人は、麻布栄光筑駒のすべてに合格したあと、塾の実績づくりのため鹿児島に遠征させられたと語っている
- 桐朋とかいう謎の学校の偏差値がわりと高い(62)
- 開成の偏差値が低い。68しかない
- 栄光(67) > 聖光(65)である
- 1日女子は桜蔭がダントツ(70)だが、偏差値上は3日の慶応中等部(72)が最難関だった
第三のグループ「ゴミ」の出現
開成というのは年代ごとの偏差値の価値を比較するのに非常に適した学校だ。 というのは、開成は今も昔も偏差値が高いことが合格に直結する問題を出題するため、 今も昔もおそらく不変な最高偏差値グループが平均からどの程度優れているか、 逆にいうと平均が最高偏差値グループからどの程度劣っているかがわかりやすいからだ。
この年の開成は68であり、 今の偏差値ではY71、N72、S67だから、 一番近いのはなんとサピックスとなる。
これは、今よりも昔の方が母集団のレベルが高く、 今のYNよりはむしろSに近かったことを意味している。 偏差値がいくらあっても確実と言い切ることが難しくなる 筑駒を除くとどの学校も軒並み、今よりは偏差値が低いはずだ。
この背景には、中学受験層の変化がある。
当時の中学受験には
- 浮きこぼれの子供に対して、相応しい教育を受けさせたい家庭
- ひたすらお金持ちの家庭
しか存在しなかった。しかしそれから25年経った今は第三のグループとして、 「裕福ではないけど、馬鹿な子供に全部ぶっこむ家庭」が現れた。 これがイキって分不相応にサピックスに通い、プリバートなどサピックスの授業についていくための個別塾に通うことになり、 中学受験は重課金ゲーだの、お金がないから車を売るだの、そういう話が出てくるようになった。 馬鹿なのか?
昔は違ったのだ。 おれのように、御三家を鼻歌交じりで突破してしまう天才児か、 お金持ちであることが送り迎えの車ではっきりわかるような家庭しか参戦していなかった。 だから、課金ゲーだのなんだのという人はいなかった。
冷たいことをいうかもしれないが、 お金に余裕もないけど、 平凡な子供でも少しはマシな人生にしてあげたいと思って とにかく中学受験をさせるのには反対だ。 なぜならば、それは教育虐待だからだ。
学校が増えたのは、 こういったゴミを鴨にするためだ。 午後入試というのも似たような意味であり、 学校は必死にゴミをかき集めているというわけだ。 結果としてゴミ層の中学受験スケジュールは午前も午後もびっしりと敷き詰められ、 ゴミは合否に一喜一憂しながらボロ雑巾のようになりながら、百発百中で4日以降に突入していく。
栄光の凋落
もう1つ大きく変わったことは、 神奈川ナンバーワンの座が栄光から聖光に移ってしまったことだ。
神奈川県ナンバーワンの進学校といえば栄光。 これがおれより以前の世代には当たり前のことであるため、 今の現状を見ると「なぜ聖光が?」と思う人が少なくない。
おれは麻布と栄光にダブル合格したが、 大学受験での結果だけを考えるのであればどう考えても栄光で、 実際に麻布を蹴って栄光というケースは当時は珍しくなかった。 しかし、今は昔よりは減ったのではないだろうか。
当時の栄光は、神奈川ナンバーワンだったから、 神奈川の最上位勢は全員が2日目に栄光を受けた。 ルシファーはなぜか2日に慶応湘南(63)を受けているのだが、 彼も本来ならば2日目に栄光を受けるのが本線だった。 慶応湘南を受けたのはおそらく父親の影響だろうが、 あれほど偏差値にこだわる人間があえて低偏差値の学校を受けるというのが 実のところしっくりこない点ではある。 しかも落ちている。
こうやって、神奈川勢のうち、一日に麻布や開成を受けた理数強者が 大船に集い。バチバチの戦いをするのが栄光受験だった。 そのせいかどうかは知らないが、栄光の偏差値はこの年、ちょうど開成と麻布の中間にある。 おれの前の年では開成と栄光は同偏差値だったと思うが、 とにかく栄光が相当に難しかったことだけは理解出来ると思う。
栄光の問題はしかし、おれにとっては相性が抜群によかった。 栄光は今では日本一難しい算数を出す学校として知られているが、 このギアチェンジをする前からも明らかに理数系強者を求めている入試問題だった。 いずれの年も、国語と社会は比較的オーソドックスで、 算数と理科で差がつくタイプだった。 おれにとっては、苦手な科目で差がつかず、得意科目で引き離せるから 麻布よりも数段合格しやすいと感じていた。 逆に麻布は今もそうだが国社が異常に難しく、ここで大きく踏み外すとかなり形勢が厳しくなる感じだった。 本番では、社会は完全に踏み外したが、国語がなんとか踏みとどまってくれたため死なずに済んだ。 中学受験の志望校選びにおいては、相性はとても重要な要素だ。相性が良いということは、 学校に求められている人材だということでもあるからだ。
あの二月戦争から10年ほどすると、 栄光は聖光に偏差値で逆転されている。
聖光は、「塾いらず」を売りとした学校だ。 鉄緑会などの塾に通わずとも東大に合格させることが出来るという カリキュラムが組まれている。 その最大出力が河野玄斗ではどうしようもないだろうとは思うのだがそれはともかく、 これが受験家庭には良いアピールとなり、よく売れているのだろう。
この背景には、 昨今の強い現役志向、 少子化、 経済状況などが関わっていて、 学校でしっかりと面倒と見てくれて、 それで東大など難関大学に現役で進学してほしいと望む父母が増えたことがあると思うが、 はたして、聖光の入学者には聖光を第一志望とした子供がどれほどいるのだろうか。 本当は開成に行きたかった、本当は麻布に行きたかった。 そんな子供ばかりなのではないかと推察する。 一方で栄光は、栄光が第一志望の子もたくさんいた。これが答えだろう。 おれはあんな制服がださくて、部活も週2だかしか出来なくて、エアコンもなく、強制乾布摩擦がある学校は嫌だが。 まぁ一応面接では、「栄光に入ったら陸上をがんばってオリンピックに出たいです」とか適当なことを言っておいたが。 当時は、面接があったのだ。 【25年目の麻布中学合格体験記】地獄の面接練習5連チャン
親の強制で受験少年院にぶちこまれ、 クソワクチンをぶちこまれ人生を台無しにされた聖光の子供たちが不憫だ。 聖光は、ワクチンにマイナスの感染予防効果があることについて説明をしろ。 ワクチン少年院「聖光学院」