あらゆる世界で、プロとして戦えるようになるには大体1万時間の修練が必要だと言われる。 当然、これは目安に過ぎないが、これが主張していることは1万時間修練すれば十分ということではなく、 100時間や1000時間では話にならないということだ。
例として、 コンピュータゲームの頂点であるカウンターストライクというゲームのプロプレイヤーは全員が 大体1万時間のプレイ時間に達している。 競技者として戦うには1万時間の修練が必要ということだ。
同様に、中学受験というのは、競技であり、 2月1日を迎えるというのは、そのプロになるということに他ならないから、 やはり1万時間の修練が必要となる。 仮に1日平均10時間を3年間続けるとちょうどそのくらいになるから、 本気で中学受験をすると、本当に1万時間の修練を積むことになり、 ようやく一人前の「中学受験戦士」となる。
1日平均10時間は盛ってるだろと思うかもしれないが、全く盛ってない。 実は、中学受験生にはアトピー性皮膚炎の子がとても多い。 軽度のものを含めると、結構な数の子の皮膚が荒れていたのを覚えている。 みんな、ものすごいストレスの中で戦っていて、 アトピーがひどい子はずっと掻き続けてしまうから、一生治らない。 しかしそれでも一日10時間の勉強をするしかないし、成績が下がればクラスが落ちる。 今はもしかしたら薬が少し良くなっているかも知れないが、 25年前の中学受験はそんな感じだった。
中学受験は課金ゲーだという輩がいる。 もし彼らが外野であれば、果たしたあなた方は小学生の頃に1万時間の修練を積んだのだろうか? もし彼らが生ぬるい中学受験をする家庭であれば、あなたの出来損ないの息子・娘は1万時間の修練を積んだのだろうか?
積んでいないのだ。何も努力していない。 スマホゲーと同じく簡単なゲームかなんかだと思っている。 思い込もうとしている。 だから課金ゲーなどと言うこと出来る。 もし積んでいれば、口が裂けても課金ゲーなどとは言わないはずだ。
麻布中学に入る子は、学校はもちろん、先輩たちに温かく迎え入れられる。 同じように厳しい戦争を戦い抜いたことがわかっており、 その前提を共有しているから、ちょっとおかしなやつがいても、 こいつもやっぱり何かしらすごいんだろうと互いに認め合える。 これは難関中高一貫校の良いところであろうと思う。
ところでおれは、他人のことを白痴だとか知的障害者と呼ぶことがあるのだが、 これが過激だと誤解を受けているようだから、この機に一応説明しておく。 おれは、先天的な欠陥や後天的な病気・事故によってIQが低くなってしまったり した人間のことをバカにしたことは一度もない。 というか、自分の父親がまさにその一人だったのだから、そんなことをするわけがない。 むしろ、ただ不運によって不遇に陥ってしまった人は何らかの形で救済されるべきだと思っている。 何を理解し、何を理解しないのかはわからないが、その限られた知性の中で どんな形であれ楽しいと思えることを見つけられるべきだと思う。
では誰のことを白痴だ知的障害者だのと呼んでいるのかというと、 五体満足にも関わらず努力をしていないのに文句ばかり垂れている人間のことである。 まさに(幻の京大NFテーマになぞらえて)「超意欲的白痴」と呼ぶべきであろう人間たちのことである。 中学受験は課金ゲーという人間たちはまさしく、超意欲的白痴である。
おれのGAAラジオは毎回大量の低評価がつく。 特に、麻布学園や京大のことを絡めると、虫が沸く。 白痴という名前の醜い虫である。
何の努力をしたこともないと、人間はこうなってしまう。 もしこの記事を見てる中高生がいたら、まだ遅くないから とにかく死ぬ気で1万時間の努力をすることをオススメする。