「教えて下さってありがとうございました!」と「悪いということを知らなかったんだから」 - ohnosakiko’s blog
朝起きて、フェイスブックを眺めていたらこんな記事がシェアされていて、寝転んだままぱぱっと読んだら吐き気しかしないのでおれの意見をぱぱっと述べておく。
確かにこういう薄っぺらい人間は増えている。
もしかして、「これはどうやら叱られているっぽい」と感じ、「教えてもらった」ということで礼を言えば、それで話が終わると思ったのだろうか。
はい、まさにその通り。常に、ただ空気に乗ることだけを考えて生きている。パコるためだけに生きている。
Aさん「でも悪いということを知らなかったんだから、それはちょっと行き過ぎじゃないですか?」
これが成り立つと、「人を殺してはいけなかったんですか?悪いと知らなかったのだから許してくださいよ」が成り立ってしまう。従って、許してはならない。
私「人に書いてもらうとか人のを書くということは、学問の世界ではアウトですよ。この授業でも、自分で考えて書いたものを評価するって言ってありますよね。それをあなたたちは破っているわけ。しかも私を欺いて出欠を誤摩化しているから更に悪いです」
大学の人間って大半は大したことしてないのに何でも「学問学問」「アカデミアアカデミア」とかっこつけるのが気に食わないけどここではそれは置いといて、それは学問の世界ならずとも一般社会でアウトです。そして、アウトというのであればなぜ、
私「‥‥はい。じゃあ、この日の出席は全員取り消しね」
で留まるのかが分からない。それでは軽傷にもなってない。アウトというのであればまずは退学から考えるべき。その態度では、学問の世界(笑)のアウトとやらは、その日一日が欠席になるくらいで済む程度のものなのか?だから小保方晴子のような怪人が生まれてしまうのだ。
もし、退学させると授業料を搾り取れないから困るというのであれば、その期の単位は全没収でもいい。この筆者がそうすることによって、こういうゴミにきちんと罰則を与えてもいい空気になって、みんなでそれに乗れるようになる。罰則が一日の欠席程度では、結局それは「その生徒にアカハラだと訴えられるのが怖いから」「一日の罰則だけだといえば収まる」と考えているからであり、結局生徒の言ってることと変わらない。
今、大学は上は東大、下はこの大学がどこかは知らないがFラン大学まで幅広く存在し、お金があれば誰でもいけるところになった。もちろんFラン大学には行く価値はないし存在価値もないが、それでも「社会に出る前の最終地点」になってしまってるという事実はある。従って、Fラン大学の教員というのは「学生はFランの人生であり、どの道学問とは関係ない」「どの道まともな職業で生きていくわけではないから」と甘んじずに「悪いことは悪い」という態度を毅然とすべきである。
おれの出身である京大工学部の話をすると、実際にある1科目でカンニングをしたことがばれて、それに関与した学生は全員その期の単位は全没収となったことがある。彼らは大抵の場合、地方の高校でトップクラスの成績を出し続け、傷なしで大学に入ってきたわけであるがしかし、彼らのこれからの人生においてもっとも誇れるものは「京大に現役で入ってそのままストレートで卒業したこと」くらいになるはずだったので、そのダメージたるやFランのそれとは違い、自殺してもおかしくないくらいだったはず。京大は自由を重んじる大学ではあるが、一方で悪いことは誤魔かさない。それは、(特に工学部は)産業界に出して活躍出来る人間を育てることを第一にしているからで、実際に3割から5割が毎年留年する。
カンニングとレポートの捏造は、どちらかというとレポートの捏造の方が悪いくらい(なぜならば、いずれも学生としてのルールは破っているが、前者については社会に出れば参考書を読みながら仕事をすることは全く許されるのだが、後者については永遠に許されないからである)なので、一日が欠席になる程度の罰則では甘すぎると思う。それでは、もしかしたらもしかしたらもしかしたらその生徒は捏造をやらなくなるかも知れないが、他の生徒に響かない。罰則というのは、それを示すことで全体に影響を与える一面もあるため、まずは退学にすることをお考えになったらどうだろうか。
というのがおれの意見である。