京大卒だが、馬場勇一郎くんの高校最後のレースに心が震えた

この前行われた沖縄インターハイ。大きく取り上げられたのは短距離の新星の誕生と、幅跳びの高校新記録8m12だった。そういう動画を見ていると、沖縄インターハイの他のレースもYoutubeにレコメンドされて、ふと開いたレースで感動があった。

800mの決勝で、おれは中長距離は全くわからず、途中は退屈なので最後の1周くらいしか見ないのだが、残り200mのあたりから猛烈に追い込んでくる小さい選手がいる。このフォーム、角刈り。見覚えがある。もしかして馬場選手!?

ホームストレッチに入ってカメラが近づくとやはり馬場選手だとわかった。1位はもちろんクレイアーロン。これはもう日本選手権を勝ってしまうレベルだから、どの選手も勝てると思っていなかっただろう。当人も本気で走ってるようには見えなかった。2位の子は知らない。3位が馬場選手。

今日はこの馬場勇一郎選手について話したい。おれは中距離のことは全くわからないし、かなりエアな部分があると思うがお許しいただきたい。

この馬場勇一郎選手というのは800mの中学記録保持者である。その記録が1.52.43と中学では圧倒的な強さだった。全中も勝ってるし、当時はクレイアーロンにも勝っていた。すごい逸材だということで、何かの番組で取り上げられていて、それで馬場選手のことを知ったのだと思う。確か中3時の全中を追ったものだったかと思う。800mは1位、1500mは2位だった。この時まさに、800mで2着にいたのがクレイアーロンで、馬場選手とはわずか0.32の僅差だった。

つまり、この時点では馬場選手は、のちに高校生ながら日本選手権を優勝するクレイアーロンよりも力関係では上だったのだ。

馬場選手はそこからさらに強くなるために、名門の中京大中京に入る。中京大中京は、中京大の付属高校で、強いのは中距離だけだと思っていたのだが、今回のインターハイで400メートルリレーで大会新を出して優勝しているので、短距離も強いらしい。陸上生活をするに非常に施設の整った学校だと考えられる。ここには、鳥居風樹という一年先輩のスター選手がいたというのも入学の理由らしい。

ちなみに、全中の1500mで1位だった服部選手は、大迫選手の母校である佐久長聖に進んで駅伝やクロスカントリーをやっているようだ。

もともと相当仕上がっていたということもあるし、体格の小ささも理由としてあるような気はする(クレイアーロンが178cm、川元が175cm、エルゲルージが176cmと中距離で速いのはこのくらいの身長が多い。190cmのルディシャは例外)が、馬場選手はそこから伸び悩む。高校ではベスト記録を1秒ほど更新したようではあるが、基本的には54秒とか55秒とかそういう低調な記録が続き、全国でもさほど結果を出せていなかったようだ。実際におれも、馬場選手は終わったという印象を持っていた。早熟で、中学までの選手だったのだろうと。

この低調な結果に対して、中学時代のスターともいうこともあり、周りからはバッシングされたこともあったようだ。中学の時には勝っていたクレイアーロンがどんどん記録を伸ばして日本一にまでなってしまったことに対して本人も悔しいと思うところがあったと想像する。今や、クレイアーロンはベスト記録で5秒先にいる。5秒というと50mくらい先ということになり、尋常じゃない大差ということになる。ちなみに世界は日本のさらに5秒先にいるのだが・・・。

沖縄インターハイに話を戻すと、彼が高校で結果を出していないというところまでは知っていたので、馬場選手らしき小さな選手がテクテクと早いピッチで追い上げてきた時にはすぐには気づけなかったのだが、ホームストレッチに入って気づいてからは馬場選手のことを応援していた。録画ですでに結果も決まっているのだが、熱くなった。4位の選手が詰めてきており、馬場選手が少しでも失速すると抜かれてしまいそうだったからだ。小さな身体を必死で動かして前に進もうとする馬場選手の姿に、勇気をもらった。

馬場選手はゴール後に控えめなガッツポーズをして、それから立ち止まり、顔に手を当てていた。当日は大雨だったから、濡れた顔を手で拭っていたのだろう。それから何度も他の選手から祝福されている光景が素敵だった。最後に、馬場選手はトラック深くお辞儀をして、限界まで力を出してふらふらになった足でゆっくりと歩きながら、トラックを去っていった。

動画はこちら。

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