この前、THE名門校という番組で浅野学園が取り上げられていた。 TVerで見れたので、なんとか見ることが出来た。前も言ったかもしれないが、TVerは良い。 予告編だけでも鳥肌が立った。
なんで見ようと思ったのか。 きっかけはツイッターで見かけたからだが、 浅野について取り上げる番組ということで興味を引いた。
この浅野という学校は非常に面白い学校だ。 今までもユーチューブやブログで取り上げた。
【中学受験】浅野中学の評価浅野というのは、神奈川御三家の1つに数えられる学校で、 実際のところ平均的な意味でいうと決して簡単な学校ではない。 むしろ難関校と言っても良いほど難しいのだが、 入学者はその8割が残念組と言われる。
残念組というのはこういうことだ。
まず浅野は、神奈川御三家の中でも固定の3番手だ。 これはおれが受験した1997年から変わらない。 上位2校(栄光・聖光)はその名前から二光と呼ばれ、昔から難関校として知られている。 浅野はこの2校に比べるとレベル的にワンランク劣る。
もう1つ、受験日程を考えた時、 浅野は最難関受験組の滑り止めにされることが多い。 典型的には一日目に東京の麻布か開成、二日目に神奈川の栄光か聖光を受け、 そして3日目に浅野を受ける。 おれも、1日目麻布、2日目栄光、3日目浅野。すべて◎だった。 前の2校に比べると浅野はあまりにも簡単(問題的にも合格難易度的にも)で、 おれは気が入らず、過去問ではやったことないほどの失敗をしてしまったものだ。 まぁそれでも受かりはした。上位者にとってはそのくらい簡単な学校だ。 アナルプラグを挿しながらでも受かっただろう。
実際のところ、3日目には東京の頂上決戦筑駒があるのだが、 学区制限があるから横浜市民は全員が受けられるわけではないし、 実際に難易度が一日校よりも高いので、学区内でも無難に3日目は浅野という場合もある。
結局、1日2日と落ちて4日目以降を泣きながら戦った残念組が、浅野に入るというケースが多いのだ。
だからおれにとって浅野というのは、中学受験敗北の象徴のような学校であり、 凡人のための最高峰という印象の学校であった。 実際、おれの周りにも麻布栄光の両校に落ちてしまい、中学受験以降 消息不明になってしまったやつらがいた。 そのくらい、残念で浅野に行くということは屈辱的なことなのだ。
さて、番組を見て、浅野の校訓が「九転十起」であることを初めて知った。 色々と浅野について語ってきたものの、実のところ浅野については何も知らなかった。 浅野について知ってることといえば、上に語ったようなことと、 1997年の2月3日にめんどくさいから受けたくないとブーたれながら行った 受験会場の光景くらいだ。
校訓について戻ると、 浅野の入学者のほとんどは、受験で「転」した子供たちだ。 従って、この校訓ほど彼らを勇気づけるものはない。 実際に、この校訓はバッグやロッカーにもそこかしこにプリントされ、 学生たちに愛されている。 この4文字が彼らの精神を支えているのだ。
中学受験に失敗することは、12歳の子供にとっては耐え難いことだ。 中には家庭が崩壊する場合もある。 離婚まで行かずとも、親が不仲になってしまう場合は少なくないだろう。 中学受験の失敗は大抵の場合、母親が責任を追及される。 遺伝子が悪い、教育が悪い、 おれの子供なのにどうなってるんだ。そうやって、旧帝大院卒の夫に糾弾される。 ただニコニコするだけのロボットになる。
自分が受験失敗したことによって家庭が崩壊したらどうだろうか? 浅野にはそういう子が少なくない。 特にそういう子どもたちにとって、浅野は居場所となり、 誇れるものとなっていく。やがて彼らは浅野生になり、九転十起の精神とともに その後の人生を力強く生きていく。
番組を見ていて、感動して泣いてしまった。
浅野学園創立の精神は、横浜の父とも呼ばれる実業家の浅野総一郎が、 横浜から世界に通用する人材を輩出するためだったという。 おれの母校である麻布学園とは比較にならないほど広い敷地、 立派な施設を持ち(立派なトレーニング場、そして陸上のタータントラックまである)、 その中ではじめは傷ついていた子供たちは活躍の場を見つけ、 精神も肉体もぐんぐんと成長していく。
総一郎さん。 あなたの学校は、神奈川で一番の学校にはならなかったけど、 多くの子供たちを救っている。 創立の精神とは少し違った結果になったと思うけど、 浅野は素晴らしい学校だ。