アガサ・クリスティ「春にして君を離れ」。私は良い妻だった。そう信じたかった女の話

今までアガサ・クリスティの小説はいくつか読んできたが、 今回の作品ははじめて、人が死なない。 殺人は起きないのである。 犯人もいないし、推理もない。

そして、私にとってははじめての駄作であった。

ただ、子育ての終わったばばあが独り言をし続ける。そんな闇の深い作品だ。

私はこの本の対象者ではない

「春にして君を離れ」(Absent in the Spring)は、 アガサ・クリスティを知らない人でも名前くらいは耳にしたことが あるくらい有名な作品である。 実を言うと私は、アガサ・クリスティの作品とは知らず、 何か劇作か何かだと思っていたので、 アガサ・クリスティのコーナーにこの本があった時は多少興奮したものだ。

ボリュームは 他の作品に比べると多少薄めの300ページほどで、 まぁ1週間くらいでさくっと読み終わるものと思っていた。 しかし実際には3週間もかかってしまった。 面白くなかったからだ。3ページくらい読んで、そっ閉じしてしまった時もあった。

この本を読み始めてから、 布団に入ってから本を読んで寝るというのが楽しくなくなってしまい、 私は朝の4時に寝て、昼に起きるという生活リズムになってしまった。 あやうく駄作に殺されるところだった。

駄作といったが、正確には読む人を選ぶということもかも知れない。 私のように、結婚をする気もないような人間には、一番縁遠い作品であり、 もしかしたら、結婚して子供がいて、それこそこの作品の主人公である ジョーンと同様に、子育てが終わった女性が読むと、きっと感情移入も出来るだろうとは思うが、 残念ながら私には全く無理な話であった。

何が面白いのかさっぱりわからなかった。

簡単なあらすじ

主人公の ジョーンスカダモアはイギリス人女性であり、 夫はその土地では一番の弁護士事務所の経営者であり、 子供は3人育てた。 今は50を過ぎていたが、 気を使ってきたこともあって、 見た目は若々しく、美しかった。

名門の聖アン女学院を出て、 弁護士のロドニーと結婚。 上々の人生を歩んできた。 少なくとも彼女自身はそう思っていた。 しかし実際には、そう思っていたのは家族の中で彼女だけであり、 彼女自身もそう無意識的にそう思い込んでいただけなのだ。

物語は、バグダッドから始まる。 娘のバーバラは親元を離れ、この土地でウイリアムという男と過ごしていた。 バーバラは病に倒れ、ジョーンはその看病に向かったのだ。

その帰り道に、彼女はたまたま 女学院時代の旧友ブランチに出会う。 ブランチは女学院時代、その美貌や優秀さから、 他の生徒の憧れの的であった。 そのブランチが今や、みすぼらしい初老のばばあに成り変わっていた。 私はこんなに美しさを保っているのに。 ジョーンは優越感を得た。

「気の毒なブランチ」

女学院を出たあとのブランチは、 まさに愛のままに奔放に生きてきた。 その中で、好きになった男が必ずしもまともな男でないこともあった。 好きになった男が売れない小説家だった時も、その夢を献身的にサポートし続けた。 その結果が、これである。

ブランチを見て、 ジョーンは、自分の選んだ道が正しかったと確信する。 弁護士のロドニーと結婚し、 ロドニーが農園をやりたいんだと言い出した時も断固反対し、 スカダモア弁護士事務所を継がせた。 私とブランチは正反対の人生を歩んできた。

そして私が正しかった。 もしロドニーが農園なんて始めていたら、 一家は大変なことになっていたはず。 私の決断は正しかった。ロドニーだって幸せなはずよ。

バグダッドにいる新しい夫に会いに行くという ブランチと別れたジョーンは、 雨天のために列車が来れないことが判明し、 トルコ国境にある テルアブハミド駅のレストハウス にしばらく滞在することとなる。

持ってきた本も読み尽くし、 いよいよ何もすることがなくなった時、 ジョーンの脳裏にはふと、 ヴィクトリア駅でロドニーが自分を見送ったあと、 踊り足で去っていった光景が浮かんだ。

ロドニーは、私がいないと嬉しいの?なんで?

ここから、ジョーンは、自分が妻として本当に正しいことをしてきたのか、 過去の記憶を辿り続ける。(200ページほどばばあの独り言が続く) そして、自分がロドニーの夢を奪ったこと、 ロドニーや子供たちのことを何一つわかっていなかったこと、 そしてロドニーがジョーンの友人のレスリーのことを愛していたことを悟る。 その事実を知っておきながら、目を背けていたことも。

レスリーが癌で死んだ時にロドニーが絶望し、心を病んでしまったことも、 ジョーンの中では、仕事に疲れただけと置き換えられていた。 ロドニーがマーナランドルフという若くて魅力的な女性と関係にあると思い込んでいたが、 これも、ぱっとしないレスリーにロドニーを奪われるくらいならば、 わかりやすくマーナにとられた方が、自分のプライドが傷つけられないがためであった。

帰ったらロドニーに謝り、本当に良い妻になろう。 そう思って家についた彼女だったが、 プアリトルジョーンとして生きることを選択するのであった。

最後のロドニーのセリフがこの物語のすべてを語っている。

「君はひとりぼっちだ。これからもおそらく。しかし、ああ、どうか、君が それに気づかずにすむように。」

考察

ロドニーはなぜレスリーに惹かれたか

ロドニーは今でも、農園をやりたいと思っている。 ジョーンと結婚したばかりに、夢を反対され、本当はやりたくもない 弁護士として生きることとなった。 現代的にいうならば、彼は典型的なATMだ。 ジョーンからすると、子供を育てるための金を稼ぐためのマシーンにしか 見られていないことがわかる。

ロドニーがなぜレスリーのことを好きになったのか。 物語中では何度も、勇気というキーワードが登場する。 レスリーの夫チャールズは、盗人の罪でしばらく収監されていた。 しかしレスリーはチャールズを捨てなかったし、子供たちにも 夫のことを包み隠さず話した。 病に冒された時にも、それを最後まで隠した。

ロドニーは、レスリーの勇気に憧れていた。 それは自分が持っていなかったものだからだ。 自分は、ジョーンに農園を反対された時、自分の夢を追いかける勇気を持てなかった。 その結果、自分の人生を生きられなくなった。 田舎の弁護士として成功したかも知れない。しかしただそれだけである。

ジョーンのような夢潰しは害悪でしかない。

戦争と病気は何の意味があったのか

ジョーンがなぜ最後に、プアリトルジョーンとして生きる 道を選んだのかとか、問題として問われたら解答は持っているが、 全体的に感情移入が出来なくて、読むのが苦痛だった。 てめえは推理小説とミステリーだけ書いてりゃいい。 アガサ・クリスティが生きていたら中指を突き立てた上でそう言いたい。

話自体は理解出来るのだが、 読んでいて何の意味があるのかはっきりしない点が二点あった。

1つ目は、これから始まる戦争について語られているところ。 これは、帰りの電車で出会うロシアの貴婦人と、 帰ってからイギリスで食事した娘のエイブラムも言及している。 従って、物語の中で何かしら重要な意味を持っていることは察せるのだが、 何の意味があるのかは明確にはわからない。

2つ目は、ロシア人の貴婦人の存在が何を意味しているのかである。

ジョーンはこの貴婦人に対して最終的に不快に思っている。 なぜかというと、自分は所詮田舎の弁護士の妻に過ぎず、中流階級の人間だと 思い知らされたからだ。 これは、物語のはじめにブランチと会ったこととは真逆である。 つまり、ジョーンはブランチと出会ったことによって自分が妻として間違っていたことを 知ることが出来たが、貴婦人と出会ったことによって、また逆に戻ってしまったのだと いう意味合いを持つと考えることが出来る。 もちろん、身の程を知ったが故に、堅実に生きていくことを選択したという素直な見方も 自由である。 いずれにしろ、最終的にジョーンが、プアリトルジョーンの生き方を選ぶことに 何かしら影響をしたと私は考える。

この貴婦人は、重大な病に冒されており、これからウイーンで手術を受ける。 そしてその手術はうまく行かないかも知れないし、その場合自分は死ぬという。 一体、この情報は何を意味しているのか?

2つのことを組み合わせるとこう思えてくる。 この2つには死がキーワードとして共通している。 つまり、ジョーンに対して死を意識させるために存在したと考えられる。

人生は一度切りと意識した人間は通常どう振る舞うか? 自分に正直に、思うがままに生きるはずである。 ジョーンの場合であれば、ロドニーに対して謝り、真に良き妻として 生きようとするはずである。

しかし結果としてジョーンは、プアリトルジョーンとして生きる道を選んだ。 これによって、彼女の決断がより強い意志によるものだったと表現するために 死というキーワードを最後に放り込んできたのではないかなぁと、私は考える。

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